感謝と遺言 第六十六代旗手長 福田 祥平

こんにちは。

 

改めまして、本年度旗手長兼渉外を務めます、福田祥平です。

 

「部員日記」というのは本来緩く部員がその日常を綴るものであったかと存じますが、何人かのロマンチスト?の手によっていささか真面目な雰囲気のものになっておりますので、本日も(いや、結局いつもやん)お堅く進行させていただきます。

 

ご存じの方も多いかと存じますが、あさって12月17日に「マーキュリーの下に~響け、我が無二の想い~」が開催されます。10月の半ば頃より私の脳内に「引退」の二文字がよぎる様になりましたが、本ステージが近づくにつれてそれは日に日に強まっています。今ふと振り返ると、私の一橋大学体育会應援部における4年間というものは「長く、あっという間な」4年間であったと思います。

 

「長く、あっという間」―一見よく分からない言葉ではありますが、要は辛いことも楽しいことも沢山経験し、ここまでやって来たということになるかと思います。

 

右も左も分からず入部した自分にとって、最初は「よく分からない」という感情が強かった様な気がします。1年目は全ての活動には参加することが出来なかった自分にとって、交流会等にほとんど行けずに渉内に知り合いが出来なかったり、リーダー練習・楽器練習においても周囲に差を付けられといったことで、「自分はこの部のお荷物だろう」とすっかり自信を無くしていました。「応援」というものもよく分かりませんでした。しかし、そんな時に希望を与えてくださったのは、現在の役職に繋がっているのかなと感じますが、渉外の存在でした。11月のNF前夜祭。京都大学応援団のステージを拝見させていただき、それまで京大の「きょ」の字も知らない様な私でしたが、気が付くと第一応援歌「新生の息吹」を歌いながら涙し、心に「燃え上がる」ものを感じる自分がいました。「応援とはこういうことなんだ」「あんなリーダーになってみたい」―そんなことを感じた気がします。また、ステージ後の同期会で形成された繋がりは、自分にとって応援部生活の中で出来たほぼ初めての繋がりであったと同時に、初めて自分の居場所を感じた瞬間でもありました。出逢った渉外の人達に恥ずかしくない様、NF前夜祭のステージで感じた「相手の心にエネルギーを送り込む」応援が出来るように練習し、最後はNF前夜祭の様な熱気の中で引退しよう。―今思えば随分と渉外に寄ったモチベーションだったかと思いますが、これは私が応援部人生で初めて抱いた「夢」でありました。

 

そこからの応援部生活は怒涛の如く過ぎ去っていきました。2年目の活動指針「闘魂」が今思えば自分にマッチしていたのかなとも思いますが、とにかく荒々しく、一生懸命に練習にせよ応援にせよ取り組みました。また、旗手との出逢いもありました。体格が活きたこともあってか、旗手の練習を通じてリーダーとしての自信を少しずつ持つことが出来ました。2年目になって交流会や同期会を通じて渉内との交流も一気に深まり、応援へのモチベーションが一気に高まりました。「応援は楽しい」「もっとアツく激しい応援をしたい」そんなことを考えていた気がします。私は自然と応援部のことがすっかり大好きになっていました。だからこそ、「そんな応援部を残したい」という思いで、コロナ禍ですべてが吹っ飛んでしまった3年生時は、総務補佐として部内の盛り上がりやコミュニケーションを作ることに全力を捧げた気がします。そしてどんな時も、私の心強い味方としていてくれたのは渉外でした。相談に乗ってくれたり、ふと訪ねて行っても会ってくださったり、一橋の活動を見に来てくださったりと様々な場面でお世話になりました。そんな渉外の繋がりを部内に広め、そして応援団同士の繋がりもどんどん強化していきたい。―幹部になるにあたってそういったことを考えていました。

 

幹部になってからの1年。今思い返せば(思い返さなくとも)、激動の1年間でした。私なりに部に対して貢献できたこともあった一方で、部に迷惑をかけることもありました。「今年は元通りになる」―そんな見通しで迎えた2021年でしたが、やはりコロナによって上手くいかない面もありました。応援も何もかも出来ず、渉外職として何とか今年こそは開催したいと思っていた三商演舞会も中止となりました。そういった理由で、前期は私だけでなく、部員全体として進むべき道を見失っていた時期だったと思います。血迷ったこともあったでしょう。しかし、応援だけは正義だったと思います。秋シーズンになってコロナが少しずつ落ち着ついて少しずつ応援が行けるようになり、応援部全体がまた少しずつ活気に満ちてきた気がします。応援の場においては各々がそこで出来る最大限のエネルギーを送り込んで、応援そのものを楽しんでいました。応援を通じて人々に元気を与える我々は、渉内に応援をさせてもらえることによって存在し得るということを改めて実感しました。応援の価値、かけがえのなさを我々はこれまでになく強く感じることが出来たのです。また、我々がつらい気持ちになっている時には、同じように苦しみを抱えているはずの渉外から励ましの言葉をいただいたり、OBOGの皆様より言葉やご支援をいただいたり、地域の皆様の支えを実感したり、家族や友人の支えをいただいたりと、本当に多くの方々にサポートをいただいた1年間でした。

 

こうして一橋大学体育会應援部員としての「終幕」を迎えようとしている私ですが、これまでにお世話になったすべての方々への感謝、そして愛を伝え、私の応援部での4年間の全てを「マーキュリーの下に~響け、我が無二の想い~」の場にて表現したいと思います。応援とは「愛」です。漠然とし過ぎてよく分からないかもしれませんが、それで良いのです。世の中には理論で説明しきれないものも存在すると私は思います。その一つが応援の力です。「応援」というものを通じて、私、ならびに部員一同の「愛」を感じてもらえれば幸いです。

 

これで内容としては「完結」した様にも見えますが、本当に最後の最後の部員日記ということですので、最後に後輩へのメッセージを残します。ここまで長々と書いてきたことで後輩はすっかり飽きていると思いますので、きっと読まれないで済むでしょう。

 

後輩たちへ

これまでありがとう。今までにない絡み方や特異な企画の数々と、戸惑うことも正直言ってあったと思うけど、何だかんだで付いてきてくれてありがとう。みんなの応援部人生において、一つでも良い影響を与えることが出来ていれば嬉しいです。

応援部員として言いたいことは、何事にもまずアホみたく一生懸命に取り組んで欲しいということです。考えて考えて理論を生み出すことも出来ますが、行動したことによる経験値に勝るものは無いと思います。だから、「とりあえずやってみよう」の精神で何事にもアツく激しく取り組んでください。その先にはきっとそれまでには想像だにしなかった世界が待っていると思います。

そうして新しい価値観をどんどん生み出してもっと魅力的な応援部を作っていってください。今までありがとう。

 

言うことはほぼ言えましたので、これにて終わりにしたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。ですが、私はあの世に行った訳でも、社会から姿を消すわけでもありません。これからも一人の人間としてお付き合いいただけますと幸いです。

 

一橋大学体育会應援部第六十六代旗手長兼渉外 福田 祥平