一橋体育会の皆へ 第六十七代渉内 野沢 紗夏

皆さまこんにちは。

 

リーダー長の三河より回ってきました、本年度渉内を務めております野沢紗夏です。三河は自身のことを「クソ」と言っていますが、本当はとてもいい人です。よく「ありがとう」と褒めてもくれます。三河がいなければ、私は今年渉内として挫折していました。いつもありがとう。

達筆な三河の次と少々(かなり)荷が重いですが、よろしければ最後までご覧ください。

 

さて、私が更新を任されました本日17日、実は幹部交代を行う候補日の一つでした。ですが皆さまご存知の通り、我々第67代の引退は1224日に決定いたしました。そう、アメリカンフットボール部CRIMSONBIG8との入替戦進出を決め、その応援で引退となるからです。私はあの瞬間泣いてしまい、その後CRIMSON同期に先に泣いたことを謝りました。(主将の山﨑とは入替戦が終わったら会場に響き渡るぐらいの大号泣をしようと誓おうとしましたが、本人は笑っていたためどうなることやら。お互い泣くことだけは決まりました。)

この引退ブログも何を書こうか迷っていましたが、入替戦進出が決まったあの日、「渉内」について書く決断をいたしました。

 

「渉内」に就いた私にとって、今年は「葛藤」の1年でした。渉内としてよかった、喜ばしく思うことが多い1年であったことには間違いありません。新型コロナウイルス感染症拡大以降、久しぶりに多くの応援に伺える1年でした。その反面、渉内として、辛かった、泣きたくなった、泣いたことも多くありました。この場でそういったことに触れるのも一つでしょうが、私にはまだ渉内として、最後にアメリカンフットボール部の入替戦が残っています。その応援が終わる瞬間までは強気の渉内でいたい。いさせてください。そのため葛藤の振り返りはまだしないでおこうと思います。

 

では私が渉内と関わり、気づいたこと。それは「ありがとう」という言葉の重みでした。応援後渉内と会うと、結果関係なく「ありがとう」と返ってきます。そんな「ありがとう」を嬉しく感じる時もあれば、本当に力になったのかと申し訳なく、後ろめたさを感じる時もありました。特に今年は多くの応援に行けた一方、3年ぶりの応援となることも多く、1年時の記憶だけを頼りました。本当にこれでいいのか、正解は全くわかりませんでした。「ありがとう」の言葉をもらうたびにこの「ありがとう」に見合うだけの努力が必要であり、その努力ができているのか、渉内として最大限の力を尽くせているのかと苦しく思う時もありました。生半可な気持ちでいては「ありがとう」と言われるに値しない。そのことに気づかされた4年間でした。

 

ですが一つ確かに言えることは、4年間、この「ありがとう」にとても救われた自分がいたことです。渉内の皆からの「ありがとう」の一つ一つは、自信を失くしていた時の私にとってこの上ない救いの言葉でした。さらに高みを目指して頑張る糧となりました。

 

もう遅いかもしれません。引退した人も多くいます。ですが、渉内の皆に今まで伝えきれなかった分の「ありがとう」を伝えたい。この場をお借りしてみんなに感謝を伝えさせてもらいたいと思います。

 

1年生の頃、体育会の新歓によく顔を出していた私と仲良くしてくれ、私に応援部入部のきっかけを与えてくれた渉内の先輩方と同期のみんな、ありがとう(特にSerpentsCRIMSON)。多くの人が体育会を辞めていく中、みんなは辞めませんでした。(1人だけ辞めましたが、後ほど登場。)みんなが日々自らと向き合い続けていたからこそ、自分に自信がない時でも負けないようにと続けられました。みんなの引退を見届けられたこと、幸せでした。ありがとう。

 

応援をし、対面で渉内と会うことは叶わなかった2年生。私は続ける理由を見失いました。ですが友人として関わり続けてくれ、頑張っている姿をオンライン上であれ知り、続ける理由となりました。(経済学部の渉内の皆には違う理由でもお世話になりました。)ありがとう。

 

3年生の時、1年生終了時に部活を辞めた友人から復帰を迷っていると連絡をもらいました(上で「後ほど登場」と記載した子です)。そんな彼から相談された際、「もし戻るなら、戻ってよかったって思えるような応援をする」みたいなことを言った気がします(お互い覚えているのかはわかりません)。そんな彼は今、QBとして活躍しています(そう、BIG8 入替戦の場に我々を連れてってくれたあのアメリカンフットボール部です)。彼にそんなことを言った手前、何がなんでも最後まで続けて、渉内みんなの引退を見届けようと決意できました。私の決意を固めさせてくれてありがとう。

 

幹部となった今年、多くの渉内の協力により様々なことが実現できました。「ありがとう」の5文字だけでは絶対に足りないぐらい、本当に感謝しています。

 

そして

代交代挨拶の時「正式に応援してほしい」と伝えてくれ、商東戦からリーグ戦まで応援させてくれたア式蹴球部。ありがとう。

 

去年「ラグビー部も応援してほしい」という言葉のおかげで、今年ここまで応援に向けて動くことができ関係性構築が実現したラグビー部。ありがとう。

 

野沢温泉で色紙渡すぐらいしかできなかったが、応援部の練習姿見るだけで元気が出ると言ってくれ、逆に元気をもらったスキー部。ありがとう。

 

スタッフとしてクリテリウムに同行という初めての試みでも喜んで引き受けてくれ、終始楽しそうに説明してくれたサイクリング部。ありがとう。

 

冬と夏に2回も試乗会を行ってくれ、壮行会も交流もいつも楽しそうにしてくれたヨット部。ありがとう。

 

公式戦応援は叶わなかった。だが練習試合応援に向けて動いてくれて、応援で名前が呼ばれると笑顔を見せてくれた男子バレーボール部。ありがとう。

 

練習試合応援の日程は合わなかったが、引退試合に向けて壮行会を実現し、勝利の報告をすぐさまにくれた女子バレーボール部。ありがとう。

 

公式戦の応援は叶わなかったが、練習試合の応援が実現し、学生注目の盛り上がり方からやっぱり応援っていいなって思えたバスケットボール部。ありがとう。

 

終始無観客開催だったが入替戦進出が決まった際に壮行会を開いてほしいと言ってくれたハンドボール部(コーチもです)。ありがとう。

 

いつも横で練習してるが、箱根駅伝予選会では応援部の方を見て、笑み浮かべて走る姿が印象的だった陸上競技部。ありがとう。

 

嘆願書を連盟に提出し働きかけてくれ、春季リーグ入替戦から応援が実現、1部昇格の場に居合わせることを叶えてくれたフィールドホッケー部。ありがとう。

 

「楽器応援いいね」の一言で応援の幅が広がり声出し不可でも応援が叶い、1部との入替戦では夢と希望を与えてくれた女子ラクロス部。ありがとう。

 

応援が実現しない中、ついに有観客でチャントを歌える応援が実現した時、試合中も試合後もあんなに嬉しそうにしていた男子ラクロス部。ありがとう。もっとみんなと歌い飛び跳ねたかった。

 

秋から応援が可能となり、声援を送ると反応が返ってきて、応援をしながら微笑ましくなってしまった準硬式野球部。ありがとう。

 

学内開催の試合でも応援できるよう大学に働きかけ、春から応援が多くできただけでなく、秋は3部の場で強さ逞しさを見せてくれた硬式野球部。1年間で一番応援に行かせていただきました、ありがとう。

 

商東戦も、全日本も、インカレも、いつどこでも応援部のことを考え、応援不可でも何かしらの策を一緒に考えてくれたボート部。ありがとう。

 

唯一応援できないと思っていたが急遽応援が可能、声出し不可の楽器応援で普段とは違かったが、それでも応援ができたことを喜んでくれたアイスホッケー部。ありがとう。

 

引退する最後の瞬間まで熱い、夢の舞台で応援することを叶えさせてくれたアメリカンフットボール部。ありがとう。絶対勝とう。

 

最後に

「一橋の応援が一番最高」と言っていた渉内の皆。ですが私からすれば応援部想いの体育会に恵まれたこと、そしてこれほど多くの体育会団体と関わる応援部が存在していること、それらは全て皆のおかげです。我々一橋大学体育会應援部は本当に恵まれました。一橋の体育会は最強で最高です。本当にありがとうございました。

 

振り返ってみると多くの渉内に囲まれ、多くの「ありがとう」に包まれた4年間でした。応援部員、渉内、そして1人の友人として、どこまで皆の力になれたのか測ることはできません。ですが少なくとも、渉内の皆と出会え応援をし続けられたこと、引退を見届けられたこと、渉内に就いたこと、全てが幸せでした。幸せと言える自分って幸せだなって、何を言っているのかよくわかりませんが思います。幸せな4年間を作り出してくれて本当にありがとうございました。

 

他にも同期はじめ、多くの方々にお世話になりました。ここでは触れることができませんでしたが、皆さまのおかげで今ここにいます。引退しましたら、また感謝の気持ちをお伝えさせていただければと思っております。

 

渉内と関われ、今の私を作りだした応援部に導いてくれた全ての巡り合わせに感謝し、私の最後のブログとさせていただきます。

 

さて、次は我らが聖母かつ女神の三浦です。ちなみに三浦は私の親が最も推している部員です。そんな彼女が書く引退ブログ、とても楽しみですね。三浦ワールドが炸裂すること間違いなし。

三浦、よろしくお願いします。

 

それでは、1224日アミノバイタルフィールドにてお待ちしております。

 

一橋大学体育会應援部 第六十七代渉内 兼 厚生 野沢 紗夏