やりたいことは全部やろう 第六十八代学内外振興 岩崎 舞雪

本年度学内外振興を務めます、岩崎舞雪と申します。

 

もう来週で第六十八代の我々も引退です。一年チアの庄司が、今週の練習中、学生注目で「応援部の、自分のことに向き合えるところが好きです」といったことを言っていて、なんだか昔の自分を見ているようでした。ということで(繋ぎおかしいですね、榊に怒られそうです。)もうブログを書くことも最後なので、少しというか、長々と自分語りを失礼します。

 

一年生の頃は、新型コロナウイルス感染症の影響でほとんど今行なえているような応援やステージは出来ず、活動の大部分はリーダー練習でした。吹奏楽部出身で、ダンスはおろか運動部の経験もなかった私は、対面練習が始まると毎日倒れそうになりながら練習に参加していました。しかし、先輩方のおかげで、日々自分でも感じるほど成長していきました。その「自分に向き合い、その分だけ成長できる」という着実な感覚が嬉しくて、日々充実していました。

 

さて私は、自分で始めたこの応援部を理由に何かを諦めることは絶対に嫌で、だったらすべてやってしまおうという気持ちで、入学前からの目標のひとつである留学と応援部を両立することを決めました。(ちなみに本ブログのタイトルはそんな私の、応援部人生四年間のテーマです。)ですが、「応援部が自分の四年間の全て」ではないことは、自分をずっと苦しめました。

 

最初に大きな挫折感を感じたのは二年生の頃でした。せっかく入ってくれた新入生皆が辞めたいと言っているということを知り、好きだった応援部が、新入生にとって離れたい場所になっていることがショックでした。彼らは、応援部以外の大切にしたいことを守るためにこの部から離れていきました。一方で私自身も、自分の中で両立のバランスが取れず、無理なスケジュールで体調を崩したりして部に迷惑を掛けました。そして自分の中で生まれた迷いや焦りも、先輩方に見透かされていたと思います。同じように長期留学に行くクラスメイト全員の中で、体育会に所属し、授業が終わった瞬間教室を飛び出し活動へ向かうような人は私だけで、本当に一人だけ、留学に必要な資格も取れず落ちこぼれでした。活動の制限が緩み、応援に行かせていただく機会が増える中で、同期たちは着々と部にのめり込んでいき、私がまだ知らない大切なものや楽しいものに気づいているような気がしました。自分なりに真剣にくらいついても、なぜかうまくいかず、空回りの日々でした。気持ちはあっても技術が追い付かなくて、憧れの先輩方にどうやったら下手くそな自分が追いつけるか、観察眼もなかった私でしたので、ビデオをスローモーションにして、ひたすら研究していました。

 

三年生の春シーズンは、「どうせ留学に行くやつ」と思われたくなくて、他の人の二倍の熱量をモットーに活動しました。どんな子にも入って良かったと思ってもらえるような応援部にしたくて、新入生を絶対に後悔させないという想いを持ち総務補佐として活動しました。二年生の秋シーズンから務めていた学内外振興補佐としても、「一橋大学全体のチアアップ」について考え行動しました。

 

幹部となったのは、留学の一時帰国中でした。暖かく迎え入れて下さった先輩、同期、後輩に恥じないようにしなければと心が引き締まりました。留学後半は幹部としてミーティング等参加はするものの、実務には携われない日々でした。私が務めた、学内外振興という役職の方針は「きっかけ」でした。その方針に込めた想いの通り、私の目標はこの部門での活動に留まらず、応援部や最高理念である「一橋大学全体のチアアップ」の追求といった「きっかけ」を通じて、部員皆が、心震えるかけがえのない経験を出来るような部を作ることでした。この想いと、実際の部の実情が乖離しているように感じ、悲しく感じると共に、それに対して何もできない自分への無力さを感じました。帰国後はそのフラストレーションを晴らすべく反動のように応援部に打ち込んだ記憶しかありません。

 

沢山考え、沢山の大切なことに気づきました。部員皆が、本当に四年間を応援部に懸けてきて良かったと思える部にするためにどうすれば良いのか。「一橋大学全体のチアアップ」を実現させるためには、どうすれば良いのか。どうやって応援すれば、渉内が勝ち、また心強く感じてくれるのか。後輩が迷い、立ち止まったとき、どのように支えれば、後輩にとって苦しみつつも成長できるような機会を与えられるのか。まだ答えが出ていない部分も正直あります。それに関して、自分の四年間の尽力を「完璧だった」と美化するつもりはありません。しかし、後輩が少しでもこの想いを汲み、未来に繋げていってくれることを期待していますし、実際後輩たちにはその力があると強く信頼しています。

 

〇部昇格など、数値目標のない我々にとって、部員によりモチベーションは様々ですが、私にとっての原動力は、間違いなく「人」でした。いつも誰かに支えられていました。応援やステージもあまりない中ですら私たちに応援部の楽しさを伝え、導いてくださった女神のような第六十五代の先輩方。四年間かかっても追いつけないような圧倒的な技術力や応援部への熱量で、今の私たちを形作ってくださった第六十六代の先輩方。どんな時も親身になってくださり、優しく、時に厳しく、未熟な私たちを成長させてくださった第六十七代の先輩方。いつもそばで我々の活動を見守ってくださり、お忙しいなかでも駆けつけ支えてくださるOBOGの皆様。みんなの応援をさせてもらえるように、恥ずかしくないように頑張ろうといつも思わせてくれる、体育会の皆。いつも励まされ、演舞会では感動とモチベーションをくれる他大学の応援団の皆。暖かく見守り、沢山応援の言葉を下さっていた地域の商店の皆様。この一年間時に共にはしゃぎ、共に支え合いながら、素敵なものを作っていけた一橋祭運営委員会の皆。それ以上にも本当に沢山の、関わって下さった全ての方々。本当にありがとうございました。そして休部しても役職を持って幹部をするなんてことを認めてくれて、時にぶつかり合いながらも対等に過ごしてくれたり、練習に付き合ってくれた同期、本当にありがとう。

 

 

ひょっとしたら百点満点の応援部員では無かったかもしれません。でも、自分が懸けた想いは、比べるものではないかもしれないけれど、普通に四年間を過ごした部員に決して劣りはしないと思っていますし、他の人より踠いた分だけ得られたものがあると胸を張って言えます。

 

 

本当に、宝物のような四年間でした。皆様への返しきれないほどの沢山の支えに感謝するとともに、私の最後のブログとさせていただきます。

残る六人の幹部達の素敵な投稿もお楽しみに。

 

一橋大学体育会應援部 第六十八代学内外振興 

岩崎 舞雪