一橋大学体育会應援部の部員日記をご覧いただきありがとうございます。
一橋大学体育会應援部第七十代主将を務めております、谷水小百合です。
ついについに引退の部員日記が回ってまいりました。
これまで幾度となく部員日記を書いてきましたが、本当に本当にこれが最後です。
三商同期の引退日記など見ていると、自分はそこまで筆まめではないのでどこもで書けるかはわからないのですが、自分の思うままにこの應援部で過ごした4年間を振り返ってみたいと思います。
皆様がこの部員日記をご覧になるときにまず思うのは一橋大学関係者や応援部関係者の方が多いと思うので、「あ、この人一橋の応援部で2年間主将やった人だ。」となる人が多いと思います。
それはそれとして事実てすが、それは決して楽な道ではなく、むしろ自分が求める幹部像・主将像、そして今の應援部に求められているそれらを照らし合わせ、「本当に自分がこの部の主将に相応しいのか」と前途多難で試行錯誤し、もがく日々でした。
この一片を、最後の自分語りとして綴らせてください。
まず、自分がこの部に入った理由からです。
私は高校時代に女子ハンドボール部のマネージャーを務めていました。結果としてマネージャーは向いているな、と思ったものの、それは最初から志願してなったのではありませんでした。
私は元々プレーヤーとして入部しましたが、中学2年生の時に発病した気管支喘息が高校1年生の6月ごろに酷くなり、到底運動ができる身体、少なくとも運動部の部活動を満足に行える身ではありませんでした。「身体を思ったように動かすことができない」というのは、自分の自信の喪失、ひいては自分が高校生生活を送る上で大きな負目となったように思います。そんな思うように動くことができない自分が、のうのうと高校生活を送ってていいのか、と。そこに数度にわたる人間関係のもつれもその思考に拍車をかけました。(よく考えれば思春期によくある葛藤だったのかもしれませんが)しかし、その部で過ごす仲間たちとの日々はとても楽しかったので、マネージャー、いわゆる「部を支える立場」として部に残ることを決めました。
そこでいわゆる「選手の立場ではないところから試合などを応援する楽しさ、一緒に苦楽を分かち合う葛藤」などを感じた原点だったように思います。
そして一橋大学に2022年3月に入学しました。
高校1,2年ほどまでは碌に体育の授業も出られないほどでしたが、3年生にもなると徐々に回復の兆しが見られ、体育にも参加できるような身体になっていました。
そのような中、どんなサークルに入ろうか迷っていました。そんな時に先輩からの声かけもあり、「一橋大学体育会應援部」を知りました。
最初は「応援部って他の部活とかを応援する部活かなぁ」と考えていたのですが、ステージのや応援の様子、そして先輩方のお人柄に触れるごとに、高校生時代の気持ちを思い出し、「プレーヤーじゃない立場から体育会の試合を支えたい、一橋大学を盛り上げたい(今から思えば後者のような高尚な想いは振り返ってから芽生えた後付けかもしれませんが)」と思い、入部を決意しました。
吹奏も兼任できるというのも、中高時代の周りの友達の大多数が吹奏楽部だったことから、大きな魅力の一つでした。
また、自分はダンスが苦手だという自覚からリーダーとして入部することに決めました。
入部しての1年生はとにかく必死で部活動に食らいつきました。
応援部の練習に参加したことのある方や見たことのある方は分かるかと思いますが、決して応援部は甘い部活ではありません。むしろ、頑張っている体育会に「がんばれ」と上から目線のような立場では声援を送るからには、日頃からそれなりの研鑽を積まねばならないし、接する際に「この団体に応援してもらいたいな」と思ってもらえるように礼儀も徹底されている団体でなければなりません。
そもそもリーダーはチアリーダーに比べて動きがつぶさではないものの、「場を応援づけるための強い振る舞い、動き、声」が特に求められたように感じます。運動も元々得意ではないし、高校生の経験から後れを取っていたのに加えて、性別的な壁もあり中々思うようにいかないこともありました。
また、楽器に関してもピアノは幼少期に習ったことはあったものの、トランペットに任命された時は運指から何まで一から覚えないといけず、本当に苦悩した覚えがあります。
しかしそんな中必死に食らいついていけたのは、特に、力強く・粘り強く應援部とは何であるかを体現し、1年生のことをご指導くださった1.4の皆様(67代の皆様)、そしてそんなありがたいご指導に挫けそうな時に励まして支えてくださった1.3 の皆様(68代の皆様)のお力添えであるものだったと思います。到底、1人では乗り越えられない壁であり、應援部の活動を通じて、どこか病気等によって負目を感じていた自分の人生が、どこか少し前向きに、殻を破れたような気がしました。そうして應援部の1年目が過ぎていきました。
そして、2022年の12月下旬、幹部交代式が行われて学年が1つあがりました。1.3で自分たちを支えてくださっていた先輩方は全体として部を俯瞰し指導する立場になりました。2つ下の私は、それに必死で食らいつき、そして1つ上の先輩がいない中、次の幹部候補として自分の視点をもう一段階、本来の応援部部員より高く成長することを求められました。
しかし、1つ上の先輩がいなかった以上とりわけ1.3の先輩方は「2つ下の自分たちを支えてくださっている兄・姉的な存在」として心理的に依存していた部分があっただけに、1.3の先輩方の私たちに対する態度、そして応援部における立場の違いは、未熟な自分の1.3の先輩方に反発する十分な理由になりました。ここで「十分」などと称しましたが、それはあくまで2年生時代の自分の未熟な視点からであることをお許しください。本当に生意気なことを言ってしまい、散々迷惑をおかけして、なぜあの頃の自分はあんなにも不十分な存在であったのか、心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そんな中4・5月になると後輩が入ってきました。應援部は特に春シーズンは1年生の流動が高い部活ですので、人の出入りは激しかったです。そりゃ決して甘くない部活ですし、短期的な成果をえられる部活ではないと思ったので。(これは体育会全般にいえることかもしれません。)應援部での新歓を何回か経験しているものなら「そういうこともあるよね」ぐらいに思って自分が行っている活動に自信が持てるかと思うのですが、初めての新歓をする身としてはそうではありませんでした。後輩が1人、また1人と部を離れるたびに「自分は何をやっているんだろう」「自分が1年生を通じて得られたものは正しくなかったのか」か自分に対しても、部に対しても自信を失いました。それに加えて三商で大阪公立大学応援団の当時の幹部の方が私に対して「谷水はもっと自信もってな!」とおっしゃりました。今思えば激励のお言葉だったのですが、新歓を通じて完全にネガティヴに陥っていた自分には、それはどこか今後の自分の活動のどこかに引っ掛かる言葉、応援する立場のものがどこか自信がなく見えるのではないか、という懸念につながっていきました。
そんな中1つ下の後輩の面倒を充分に見るのができるはずもなく、2年生として全うすべき後輩によりそうということもできず、自分のことばかりに目を向けていました。しかしそんな折でも応援は楽しく思ったのは間違いではありません。1年生の時よりできることが増え、実際の応援で応援全体を引っ張ることも任せていただいたことは、今後辛かった時の「でも自分は応援が好きだから」という自分を奮い立たせる考えに繋がっていきました。
そうして1年生では見つけられなかった部活動の意義を見つけられた反面、それはあくまで「2年生」としての中で、「次期幹部」としては全く満ち足りていませんでした。自分でもその葛藤を抱えたまま、2023年に幹部交代式を迎えてしまいました。
私は学年ごとに応援部で見える景色・おかれている立場は全く違うと思います。
1年生には1年生の、2年生には2年生の、3年生には3年生の、幹部には幹部の視点がそれぞれあります。私は2年生から幹部の段階にあがることを迫られました。
下級生としての3年生の立場を飛び越えて、幹部にならなければなりませんでした。
先輩が引退されて一気に人数が減り、1つ下の後輩と(当時はいた)同期との連帯も全く不足していた自分にとっては、誰からも助けてもらえず、何の労いもしてもらえず、そして明らかに自分の「主将として今後の道を示し、部を引っ張っていく」という能力も不足していました。そんなどうしてもうまくいかないことの責任を1人で負わないといけないと思っていました。
そのような心身ともにプレッシャーに追われる日々によって、ある日プツンと糸が切れて、倒れてしまいました。
主将という立場にも関わらず、部を3か月ほども休みました。
この時は後輩にも、そしてOB・OGの皆さまにも多大なるご迷惑をおかけしました。本当に申し訳ございませんでした。一時は部を辞めてしまおうとも思いましたが、「せっかく先輩から代々受け継がれてきたタスキを自分が放棄していいのか」「それこそ本当の無責任ではないのか」と思い立ち、続けることに決めました。
1つ下の後輩は「そんな一回部を離れた立場の人が主将なんて」と思っていたに違いありません。私がその立場だったら、絶対にそう思います。
でも、先ほども言った「応援部では学年ごとに見える景色・おかれている立場は全く違う」という考えから、「主将は自分がやらないといけない」と自信がなくとも自分を奮い立たせ、気丈なフリをしました。そうして部に戻り、「そもそも人数が減ってしまった中で、どのように一橋大学全体のチアアップという至上命題を達成するか」ということを1つ下の後輩と考え始めました。
私が部に戻った時にはあたらしい1年生も入っていて、せっかく入ってくれた1年生のためにも、自分が従来の一橋大学体育会應援部という組織のトップとして、与えられること・経験させてあげられることを自分たちが頑張ってさせてあげないといけない、と思っていました。自分が「主将であること」に自信がなくとも、負い目があっても、しないといけない。それこそが責任だと今でも思います。
でも、1人ぼっちの3年生幹部の力はとてもとても無力なものでした。経験も視座も足りておらず、どうしたらいいかわからない。体育会との関係においても、渉外とのかかわりにおいても。そんな日々が続きました。当時の2年生ともお互いに不満を持って活動していて、あまり溝が埋まらず、どこか部としての一体感が欠けたまま、2024年が過ぎていきました。
2025年になるとついに4年生になりました。
自分もそこそこ経験を積むことができた幹部になって、このまま順調に部の活動が進んでいくと、去年生まれたひずみに盲目的になっていました。1つ下の後輩にきちんと向き合うことができていませんでした。
部をしっかり「つぶれないように」運営することに躍起になっていて、その中にいる人たちの思いや信条に全く目を向けられませんでした。1つ下の後輩である3年生に「自分は応援が好きだし、応援部でやりたいこともまだまだある」と言われたときに、ハッとしました。「自分が1年生や2年生の時にやりたかった応援部、3年生や4年生になったらなりたい姿はこんなのじゃない。」ということを思い出しました。
3年生の時は「とにかく部を運営して、つぶれないようにさせる」ということに躍起になっていて、後輩の信念にも、自分の信念にも目をつむっていました。自分の4年生は、管理者としてではなく1人の応援部員として部に応援部に向き合っていくことからリスタートしました。「自分がやりたい応援部ってなんだ」「今後繋いでいきたい一橋大学体育会應援部ってなんだ」ということを今一度見つめなおしました。
その上で、「後輩達には”心身ともに”応援部員になってほしい」と心の底から願い、活動に打ち込みました。
特に2~4月は後輩達も凄く辛い中だったとは思いますが、そんな中でも新歓活動にも取り組んでくれて、自分の4年間で初めて4学年が全員揃うことができました。これも自分の中で初めてのことで、試行錯誤の日々でしたが、3年生や2年生の助けもあり、「自分が今後紡いでいきたい応援部らしさ」をつないで行けたと思います。
三商前後や応援シーズンもかなり忙しい中でしたが、皆が真摯に活動に取り組んでくれて、自分が「一橋大学体育会應援部」として伝えたいことに全力で答えてくれたこと、自分が「一橋大学全体のチアアップ」のために何ができるのかに真剣に向き合ってくれたことで、どこか3年生の時には部の運営に追われて、練習や応援で感じたくやしさ、嬉しさ、熱さを忘れていた自分の心に、再び火がともるのを感じました。
そして今、その命の炎が彗星のように消えていくがごとく、引退の日を迎えられています。
以上が自分の活動を振り返っての備忘録です。この部員日記を通じて、そして自分の4年間を通じて何を得ることができたか、ここから皆様には感じ取っていただけますと幸いです。
また、自分は後輩に何を残せたのでしょうか。上記で「一橋大学体育会應援部として繋いでいきたいもの」と書いてありますが一体それはなんなのか。それは未来の部を紡いでいく立場の後輩達が決めること・感じるべきことであり、自分が「これを残しました!」などど(物質的なもの以外で)豪語するものではないと思っています。
でも、少しは一橋大学体育会應援部第六十九代、七十代体制のことを思い出して、心のどこかのピースにはめ込んでくれていたら、とても嬉しいです。
私が4年間活動するにあたって、決して1人の力では乗り越えることはできませんでした。以下に簡素ではございますが、皆様への感謝を記していきたいと思います。
OB・OGの皆さま、先輩方へ
本当に先輩方からはたくさんの事を学び、教わってきました。それを一つでも、活かせたでしょうか。後世につたえられたでしょうか。自分が未熟なばかりにたくさんのご迷惑をおかけしてしまい、大変申し訳ございませんでした。皆様から教わったこと、過ごした時間、いただいたものなどすべてが自分にとって宝物です。偉大な、すばらしい先輩方の後輩になることができて、本当に幸せでした。これからもぜひ目をかけていただけますと幸いに存じます。今後振橋会の一員としても、どうぞよろしくお願いいたします。
後輩へ
こんな不甲斐ない主将・不甲斐ない先輩についてきてくれて本当にありがとう。君たちが全力で部活にとりくんでくれる姿、一緒に應援部について考えてくれる姿は、間違いなく私の活動の励みになっていました。こんな素晴らしい後輩達を持つことができて本当に幸せ者です。私のことは嫌いでも、応援部のこと・一橋大学のことは嫌いにならないで、よりよい応援部を創っていってくださいね。
渉内(体育会)の皆さまへ
4年間皆様の姿を応援させてくださり、本当にありがとうございました。直接その試合にかける皆様の思いや姿に触れるたびに、応援しないといけない自分の方が何回も奮い立たせられました。自分たちの応援が足りているのか、皆様の力になれているのか、苦悩する日々でしたが、声をかけてもらえるたびに応援の事が好きになったし、一橋大学体育会のことが大好きになりました。来年からも応援部をどうぞよろしくお願いします。
渉外の皆さまへ
渉外の皆さまは同じ応援部・応援団に属するものとして、超えるべきライバル・高めあえる仲間でした。その姿や演舞にも魅了され、確実に自分が応援部・応援団が大好きになる1つの要因になりました。
特に三商の同期たちにはいっぱいお世話になりました。自分が部内で愚痴れないこともいっぱい聞いてもらいました。君たちがいないと正直部を辞めていたと思います。
とりわけ神戸大の笠置・公立大の靱とはより良い三商を作るためにいっぱいミーティングをしたし、自分の仕事が遅すぎていっぱい迷惑をかけたし(ごめんね。)、たまにミーティングが延長して2時間ぐら駄弁りました。でも、私たちが創り上げた三商、この三商渉外と三商同期合わせて11人で創り上げた三商は本当にみんながいないとできなかったことだし、絶対にこの三商2025が一番だと胸を張って言えます。本当にありがとう。
両親へ
4年間、支えてくれて本当にありがとうございました。毎日のように電話はかけてくるし、クレカを使いすぎて金を無心してくるしで、本当に4年間いっぱい心配をかけたとおもいます。いっぱい心配をかけたのに大阪から応援部の活動を見に来てくれて、毎回のように激励の言葉をくれて、親からの愛を一心に感じる4年間でした。後少しで就職するので、精一杯親孝行できるようにこれからもがんばります。
その他周りで支えてくださった皆様
4年間私の姿を1回でも見てくださった皆様、激励のお言葉や差し入れなどをくださった皆様、本当にありがとうございました。皆様からあたたかいお声がけをいただく度、その一つ一つが自分が応援部にまた一層全力で取り組んでいく原動力になりました。皆様の人生の中で、少しでも私のことが、一橋大学体育会應援部のことが記憶に良いものとして残るのであれば、これ以上の喜びはありません。
以上長文駄文失礼いたしました。いろいろと煩雑な文章になってしまいましたが、改めまして、皆様4年間ありがとうございました。

さて、私の4年間の長い旅はここで終わりをつげ、明日からまた新しい「一橋大学体育会應援部」が始まります。次の部員日記は、きっと新しい一橋大学体育会應援部の始まりを告げるにふさわしい人物が書いてくれるでしょう。
後は、お願いしますね。
一橋大学体育会應援部