覚悟 第六十八代副将 上口 愛里

第六十八代副将兼吹奏長兼総務を務めます、上口愛里です。

 

部員日記をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。

 

これまでに更新された同期の部員日記を読み、同じ応援部員でもそれぞれ異なる4年間があることを改めて実感します。

さすがに4年間一緒に過ごしてきた同期なので、その時考えていたことがなんとなく分かるな、という部分も多くありました。笑

それでも言葉として人の考えを知ることができるのはとても興味深く、また様々な価値観に触れられることが嬉しくもあり刺激的です。

 

私は自分自身の思考を人に知ってもらうのが好きで、しばしば個人のSNSにも止まらぬ思いの丈を書き記しています。笑

 

このようなありがたい機会に何を書こうかと悩んでいましたが、幹部としてのこの1年間の覚悟、そして応援部に対して考えてきたことや今思うことについて書きたいと思います。

 

前置きから少し長くなってしまいましたが、そして拙い文章ではございますが、最後までお付き合いいただけますと幸いです。

 



幹部を務めたこの1年間、私が常に持っていたビジョンは「いつまでも受け継がれ、未来永劫愛される応援部」でした。

今の応援部業界(に限らずですが)は過渡期であると言われたり、実感する機会が多くあります。応援部で3度の新歓活動を経験しましたが、応援部や体育会部活動に対する新入生の意見を聞いていると、コロナ禍を経たこともあってか、少しずつ変化していることを感じます。

 

少し振り返ると、私は中学・高校時代はある程度の上下関係がある吹奏楽部で過ごしました。「運動部寄りの文化部」と言われる「運動部寄り」の部分が好きでした。後輩は後輩らしく振る舞うという規則面でも(厳しさは運動部には及びませんでしたが)、暑い中マーチングチューバを吹き歩きながら倒れそうになる感覚も好きで、走ること以外は向いているし自分は文化部でありながら運動部の魂を持っていると思っていました。

ただ、当時やりきれなかったのは、「全員で熱い気持ちを持って高い目標を目指すこと」です。人数も多く、勉学優先と言われていた母校の吹奏楽部では、コンクールやマーチングの大会もありましたが、全員が同じ熱量で高い目標を目指せていたわけではありませんでした

それを最後の学生生活で達成するため、私は大学ではチームプレーを大切にする体育会に入ることを決めていました。なので、その中でも「ザ・体育会」であり、にも関わらず楽器を吹くこともできる(しかも自分が入る年にスーザフォンが導入される)団体を見つけたときは、運命を感じざるを得ませんでした。

さすがに大学で体育会部活動に入るような人は自分と同じような強い志を持っている人しかいないだろうと当時は思いこんでいて、ようやく自分の中の熱苦しい気持ちを解放できることに胸を躍らせていました。

 

私はずっと、応援部のどこか時代に逆行するような体制を受け入れられる人が、そこについていける人が、応援部の中での正解だと思っていました。そして自分こそが誰よりもその「正解」であると思っていました(だから尖っているように見えていたのだと思います)。普通とは違う、独自の文化を貫き続けるその姿勢が好きでした。

しかし応援部が体育会の中の体育会であるというイメージは、あくまで「私の中の」当たり前でした。

応援部でもみんながみんなそうではないと受け入れられるようになったのが2年生の時、そして自分の考えが変わったのが3年生の時です。

 

部員が入っても辞めてしまうこと、部員を入れようとしてもそもそもあまり入ってこないことを2年続けて経験しました。自分の大好きな応援部の魅力をどんなに必死に訴えても、たとえそれをわかってくれたとしても、今の新入生にとっては「応援部」を自分がやることに対するハードルが高すぎるようでした。それは純粋に忙しくて大変だとか、勉強や他のサークルと両立したいなどといった話もありますが、「厳しさ」も一つの大きな要因であったと思います。自分の好きなものが時代を経るごとにどんどん受け入れられないものになりつつあることを実感し、悔しさを感じました。

 

 

同期みんなでたこ焼きパーティーをしたある日、当時応援部へ不満たらたら(なんだかんだ応援部のことは好きだけど)の同期が冗談で「こんな部1回潰れた方がいいんじゃないか」と言った時、お酒を飲んでいたからかもしれませんが、「私は絶対嫌だ!冗談でもそんなこと言わないでほしい」と泣いたことを覚えています。同期は覚えていないかもしれませんが。

ふとした日常の会話の中でしたが、そこで自分が、自分の好きだった「文化」を守り続けるよりも、自分の好きな「団体」を守り続けたいのだということに気が付きました。いつまでも応援部の応援部らしい文化が大好きだし、守り続けるべきものもたくさんあるけれど、時代に逆行しているだけでは自分の所属した大好きな団体がなくなってしまう。そのような未来の可能性が見えた時、たくさんの人に愛されてきた、そしてこれからも愛されるべき存在がなくなってしまう、そのことの方が私は嫌でした。



幹部として、の話に戻ると、団体が続くためには入ってくる「人」の変化に合わせて団体も変化しなければならない、と考えるようになったことが、自分の考えの変化でした。

3年生の途中ではまだ本当にそれが自分の答えなのか悩む時もありましたが、幹部に向けての準備をする頃にはその考えが自分の中に根付いていたと思います。

急激に変化することはできないし、迎合することはその意図するところではありません。団体の発展のため、時代に合わせて万人とは言わずとも今よりも少しでも多くの人に受け入れられる、理解されるような形になることが必要だと考え、特に幹部になって自分たちの代の応援部を形作る時、今の団体が未来で良い方向に進むような選択をすることを常に心がけてきました。

 

私のこの行動指針は、時に、いや多くの場面で、同期とぶつかってきました。

同期へ、今この文章を読んで理解してくれとは言わないまでも、なぜそのように考えていたかを知ってくれたら嬉しいです。

 

しかしこれも、「自分の好きな団体が続いてほしい」というエゴです。「自分が好きなようにやりたい」よりもそちらを優先していただけです。あたかもそれが正解のように振る舞っていたことも多々あったと思うし、感情的になって語気が強くなることもいっぱいあった(いつもかも)し、やはり同期にはたくさん迷惑をかけたと思います。申し訳ない。

 

でも、新歓を誰よりも頑張ると決めて総務になり、周囲みんなに愛され部員みんなが愛することのできる部を作ると意気込んで副将になったこの1年、応援部のためにたくさんの時間と熱意を注ぎ込みました。それは何の苦でもなかったし、それが私の望んだ応援部生活でした。

でも、結果で見たら自分の頑張りは「成功」とは言えないかもしれません。

 

ありがたいことに現在3人の1年生が今体制をやり続けてくれていますが、せっかく部や部員に魅力を感じて入ってくれたのに、様々な理由で応援部とは違う道を選んでいった子は少なくありません。また、後輩にも、部活動が楽しくない、辛いと言わせてしまったことが何度もありました。

 

部を運営する責任を持つ幹部として、そして特にその責任のある役職として、これほど苦しいことはありませんでした。かといって、いつでもすぐにその後輩に声をかけ全力で相談に乗ったか、常に部活動以外の時間を惜しんで新歓のために頭を使ったか、計画的に動けたかといえば、そうではなかったと思います。もっとできたことはいっぱいある、そんな後悔もないとは言い切れません。

 

覚悟も気持ちもあるけれども、実行し成功させる力量はない、そのくせに努力が足りていない気がする。そんな自分に何度も自信をなくし、総部祭の帰りのホームと電車内で号泣したこともありました(鵜田と榊、ごめん、ありがとう)。

しかしそんな自分に苦しみながらも、自分の応援部人生で一つでも何か残せるようにと、頑張り続けてきました。

 

 

「成功」とは言えないかもしれない、と言いましたが、やっぱりこの1年間頑張ってきたことは間違いではないかもしれない、と思えた瞬間がありました。

11月末の一橋祭ステージでした。

OBOGの方々、渉外、渉内、地域の方々、保護者の方々、友人、大切な人。自分たちに関わってくださったたくさんの方が見にきてくださり、そしてたくさんの「良かった」「楽しかった」というお言葉をいただきました。

自分のやってきたことがどれほどそこに貢献しているかは分かりませんが、やっぱり「周りに愛される応援部である」と実感することができました。

 

先程名前を挙げなかった役職に、吹奏長があります。これは唯一「自分のやりたいこと」のエゴで、大好きな吹奏楽を部員にもっと楽しんでもらい、そしてもっと素敵な音楽を届けたいという気持ちから務めたものでした。

そもそも例年の一橋祭ステージでは、吹奏楽団さんに演奏をお願いしているため自分たちは演奏をする機会がありませんでした。しかし、一橋祭ステージという1年の集大成となる場で楽器の成果も披露したい、というわがままに同期みんなが賛同してくれて、ついに実現させてもらいました。そしてこの吹奏楽人生の中で憧れであったゲーム音楽を吹いてみたい、高校時代にやっていた楽器を吹きながら動くのを応援部員みんなでやりたい、という私の夢も部員のみんなに叶えてもらい、自分の編曲した「ドラゴンクエスト I 序曲」を楽器未経験の1年生も含む全員で演奏することができました。頑張ってくれた部員に心から感謝です。

第六十八代の吹奏を見ていただきたかったたくさんの方の前で披露することができ、そして楽しんでいただくことができて、本当に嬉しかったです。本番は吹きながらも観客の皆様の反応をとても楽しみにしていました。笑

 

また、自分自身、副将として旧校歌の指揮を務めました。自分のこの1年間の覚悟をそこにすべて表現したつもりです。少しでも何かが伝わっていれば嬉しく思います。

 

一橋祭ステージは本当に楽しくてあっという間で、そして大成功だったと私は思っています。人数が少ない中でも、少ないからこそ、全員が頑張り支え合って完成したステージです。全員揃ってステージに立てたこと、この1年間をステージとして形にできたこと、本当にありがたく喜ばしい限りです。

今まで関わってきたくださったすべての方々。

見に行けないけど頑張れ、楽しんでと応援してくれたり、各地から飛んで見にきてくれた、いつも刺激と元気をくれる大好きな応援部応援団の仲間たち。

目の前で熱い戦いを見せてくれて、一緒に戦わせてくれたカッコ良すぎる体育会の仲間たち。

今まで育ててくださり、いつも見守ってくださった65代、66代、67代の先輩方。(応援部右派だった自分がこのような思考回路に変化したこと、驚かれていますでしょうか)

現役部員の活動を見に来てくださり、いつも応援してくださるOBOGの方々。

こんなにも素敵なお祭りを作ってくれた一橋祭運営委員会の方々。(写真映えの良すぎる「ヒトツバレ!」な最高のステージ装飾でした)

商東戦も一橋祭ステージも、私たちのために快くご協力くださり、素敵な演奏をしてくださった一橋大学津田塾大学吹奏楽団の皆様。(仲良くしてくれてありがとう!)

一橋大学体育会應援部のファンでいてくださる方々。

知らぬ間に東都を覚えて一緒に応援部を好きになってくれて、本当は弱々な自分をいつも支えてくれる家族、そして大切な人。

ここには書ききれないすべての方々に、ここには書ききれないほどの感謝があります。この場を借りて少しだけ書かせていただきましたが、心から感謝しています。

 

そして、この部を選びそして続けてきてくれた全部員。

ありえない幹部下級生比率の中でも元気よく全力で練習を頑張ってきてくれた下級生。

どうしようもない奴で迷惑ばかりかけてきたけど、意見が合わなくてぶつかることもあったけど、たくさん話して一緒に第六十八代体制を作りあげてきた、一番長い時間を一緒に過ごしてきた同期。

今まで、本当にありがとう。

 

吹奏演目の写真です。

 

 

とんでもなく長い文章になってしまいましたが、そして途中は自分の哲学のような話を長々としてしまいましたが、終わりよければ全てよしです。

いろいろなことを考えてきた1年でしたが、やっぱり応援部が楽しくて応援部が大好きです。

私の本職は、4年間ずっと「応援部員」でした。

 

自分の頭の中を時間をかけて(時間がかかりすぎますが)言葉にするのはとても幸せでした。飛ばし飛ばしで読むぐらいがちょうど良かったかと思います、と先に書いておけばよかったです。ここまで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 

あと少し、本当の終わりまで、最後に「良かった」と言えるように全力でやり切ります。

 

 

次回で幹部日記も最終回です。

本年度主将を務めます、榊の幹部日記です。この1年間、もっとも私を「副将」と自覚させてくれた、お世話になった頼れる人です。

皆様お楽しみに!

 

一橋大学体育会應援部

第六十八代 副将 兼 吹奏長 兼 総務

上口愛里