生き甲斐 第六十六代渉内 山崎陽世里

「マーキュリーの下に『響け、我が無二の想い』」まであと1日、最後の応援であるクリムゾン応援まであと2日となりました。

 

応援部員としての4年間がもう少しで終わろうとしていますが、寂しい気持ちよりもこの二大イベントが楽しみで仕方のない、本年度渉内兼広報を務めます山崎がお送りいたします。

 

 

昨日の幹部日記にて、福田が私への感謝を伝えてくれました。ありがと〜〜〜!何ともむず痒い気分です(良い意味で)。

彼の言う通り、私たちは喧嘩することも多くありました。1-4の先輩に、「福田にこんなひどいこと言われたんです!」とチクったことも、1ヶ月口を聞かなかったことも。(笑)

今となっては懐かしい話です。

福田は私がダメダメな時も全肯定してくれるので色んなことを相談できました。何度「もうヤダ〜」と泣きついたことか(笑)

一方で、私はダメ出しもゴリゴリにしてきたのでそこは申し訳ないなと思っています(笑)

 

 

ここまでの3人の幹部による幹部日記を読まれた方は勘付いていらっしゃるかと思いますが、本年度は幹部みんなが4年間積み上げてきた想いを皆様に伝えられる機会を作りたいなと思い、幹部日記というものを行っています。

19日から22日の4日間にかけても更新されますので、お楽しみに。

 

 

ここでは、少し自分語りをしてしまおうかなと思います。

 

まずは新歓期。應援部に入ったのは、「チアコスチュームが可愛いから」です。

なんて不純な動機…。少し他の体育会と迷った時期もありましたが、チアコスチュームの試着会で無事陥落。

そしてキラキラ女子大生ライフを彷彿とさせる先輩方のエピソードにやられて入部を決めました。

 

入部してからは正直戸惑うばかりでした。

ダンス経験のない私は曲が8カウントで進むことも知らなかった。音楽の授業が大嫌いで全く聞いていなかったので1つずつ数えないと楽譜も読めなかった。

え、なんで「5,6,7,8」っていう掛け声からダンス始まるの?音階って何?という状態からのスタートでした。

それでも、持ち前の負けず嫌いさのおかげで、春シーズンは何とか食らいつくことができたかなと思います。

 

秋シーズンは、正直辛いことばかりでした。

技術も足りないし、応援では怒られてばかり。

先輩に褒められて上機嫌な同期の横でこっぴどく反省会で叱られ「もう辞める」と号泣しながら山手線で帰宅したり、終電で帰ってはまた朝6時に家を出る日々を繰り返したり、疲れのあまり最寄り駅から家まで歩く気力が湧かずホームのベンチで眠ってしまったり…。

 

3年前のこの時期は、オフに入り應援部に触れずに済むことにホッとしている自分がいました。

誰にも言わなかったけれど、「應援部、私には向いていないから辞めよう」そう決心していました。心が付いていかず、追い出し旅行にも行けませんでした。

ですが、應援部にいたからこそできた渉内(体育会)・渉外との繋がりを失いたくなくて、「辞めます」とは言えずに2年生の春合宿を迎えることとなりました。

 

 

春合宿は、私にとって大きなターニングポイントでした。忘れもしない、中日のことです。

その日のメニューは、ボート応援形式・野球応援形式を9回裏表分3時間・山道ランニング1時間半と階段を400段登り降りという、私にとっては例のない壮絶なものでした。

2月の山梨県で行われた合宿だったので、非常に気温が低かったにも関わらず、汗でびしょびしょになったことを覚えています。

諦めそうになるタイミングもありましたが、ここでも無事負けず嫌いを発揮して何とか先頭集団でゴールすることができました。

この経験は、「私ってやろうと思えば何でもできるな」と思わせてくれる、自分に自信を持てる経験になりました。64代のお2人には、非常に感謝しております。

この経験のおかげで、「もう少しだけ應援部にいようかな」と思えました。

 

この合宿後、「私は應援部員でいるべきだ!」と強く感じさせてくれたのは、渉内の同期たちです。

特に、4月1日のアイスホッケー部の新歓試合応援に行った際の同期の活躍ぶりが、本当に涙が出る程格好良くて頼もしくて感動させられたことを覚えています。

そして、「私って実は応援好きなんだな」と実感することができた日でもありました。

この日以来、渉内のことをより一層好きになったし、応援が本当に大好きになりました。

渉内がいてくれたから、私は今日ここまで応援部員でいられたと言っても過言ではありません。

 

そして、応援が好きになると、應援部での全部の活動がやりがいに溢れた楽しいものになりました。

「どうしたら良い応援ができるのだろう」「勝たせる応援って何だろう」ということを考えて実行に移す。

良いチアチーフで、ダンスで、会場も部員も巻き込みたいからもっと練習に集中する。

死ぬ気でやっても意外と死なないから、自分で限界を決めない。

 

今の私を形作ってくれたのは、2年生のこの時期だったなと思います。

 

 

3年生になってからは、コロナウイルスの影響で思うように活動ができませんでした。

辛い時期ではありましたが「いつか対面で応援に行くんだ」という強い思いがあったからか、挫けることなく活動に取り組むことができました。

 

 

そして今年。本当に大変なことばかりでした。

春シーズンはやはりコロナの影響が残り、思い通りに行かないことばかりでした。

何度も心が折れそうになりましたが、「応援に行くんだ」という一心で耐え抜いていられました。

 

待ちに待った秋シーズン。

9月までは応援の目処が立たず苦しい時期もありましたが、10月からは応援が少しずつできるようになりました。

得点が決まった瞬間の会場全体のボルテージの高まり、勝利を喜ぶ選手の笑顔、「今、声が届いた!」と感じた時の高揚感、喜びのあまり部員と交わしたハイタッチ、チアチーフとして引っ張り切れた時の達成感。どれも忘れられません。

 

全てを投げ出したくなったことも、辛いことも沢山あったけれど、今は「応援が私の生き甲斐だ」と胸を張って言うことができます。

そして、そう思えるきっかけと生き甲斐を与えてくれた渉内の同期たちに本当に感謝しています。

 

そして、4年間私を支えてくれた、家族、同期、先輩やOBOGの方々、後輩、友人、渉外…関わってくださった皆さんにも、本当に本当に感謝しています。

一人一人に感謝を伝えていると文字数がとてつもなくなるので、個人的に(いつか)伝えさせていただこうかと思います!!

 

 

明日のステージでは、この感謝の想いを全力で響かせるので、見ていてください!!

 

 

次の更新は19日。幼稚園・小中高・大学…と18年間共に過ごし、毎日同じマンションから部活へ通っている浅野に回します!!