感謝 第六十八代リーダー長 村木 俊一

 

本年度リーダー長兼振橋会渉外兼車両責任者を務めます、村木俊一です。ついに、卒業ブログ、なんてものを書く日が来てしまいました。

 

幹部交代式などで自分の応援部生活を振り返る機会もあるとは思いますが、こうして文章に残す機会はほとんどないと思います。少々長くなってしまうかもしれませんが、暫しお付き合いいただければ幸いです。

 

自分は2個上の先輩である河野さんに誘われて応援部の新歓イベントに行ったのが入部の最初の最初のきっかけです(当時はここまでお世話になるとはもちろん想像もついておりません)。よく半分冗談で応援部に「入ってしまった」という表現をするのですが、本当に深く考えずにノリで入部してしまいました。事実、新歓では応援部以外どこもイベントには行っておりません。

 

いざ入部してからは怒涛の日々の始まりです。が、今思えば当時の第65代幹部の方々の偉大さは今になって改めて実感する機会が本当に多いです。あの新型コロナウイルス感染症の中、「怒涛の」日々を送れたのは言うまでもなく当時の幹部の方々あってこそです。厳しい練習の帰り道、実家の最寄り駅に着くとなぜか毎回涙をこぼしそうになっていたのも懐かしいものです。

 

2年生の時はとにかく愛のあるご指導をたくさんいただきました(笑)。自分は同期リーダーとリーダー練習中は対照的なキャラクターだったそうで、相方は拍手や腕振りの形はすぐヘロヘロになる分追い上げが得意、自分はよくも悪くも終始80点でつまらない、という評価を受けていました。懐かしいものです。ただ、当時のご指導のおかげで今の自分のリーダー像があります。当時掛けられた言葉はそのまま今の下級生たちに言い放っています(笑)。幹部リーダーの方々の目の前で、当時の下級生リーダー5人で輪になって拍手や腕振りをしていたあの日々が今でも忘れられません。1日1日自分の姿・技術に向き合いながら、一番成長した1年間であったと言えます。

 

3年生の時は自分の強み弱みと向き合いながらもがいた1年間となりました。3年生としてどうにかして部に貢献したいと思う気持ちがあるだけで、実際にそれを達成できない自分自身にいらだつことが多かったです。そんな中でも一番近い距離で自分を指導してくださった当時の幹部の方々には頭が上がりません。

また、3年生の間に自分の応援部員としての理想が形成されていったように思います。学内外振興補佐として広い視野で応援部を見つめなおすことが出来ました。当時描いた理想を実現できていないのは悔しいですが、自分の応援部員としての役割を自覚し目標を描いていくきっかけになりました。また、渉内補佐になり、渉内を知る、愛すということの本当の意味を自分なりに見つけることができました。

 

幹部になってからは本当に美しい景色をたくさん見てきました。商東戦では湧き立つ大勢の観客と見事東京大学を打ち負かした端艇部員を。三商演舞会や一橋祭ステージでは練習で指導してきた頼もしい後輩や大好きな同期を背に多くの観客を。全て応援席最前列中央の特等席で見ることが出来ました。リーダー長の特権だと思います。そして、可愛い下級生たちに一番指導をした自信があります。自分の一言一言を吸収し成長していく下級生たちを、練習場の一番良い位置で見ることができました。

 

こうして振り返ってみると、本当に自分は先輩方なしでは今何をしていたか本当にわかりません。最初はもっと様々な渉内や渉外、一橋祭運営委員の方々、友人を満遍なく登場させたいと思っていたのですが、やはり後輩、先輩方には本真っ先に感謝を伝えたいです。ラブレターみたいになってしまいましたが、本当にご迷惑をおかけいたしました。そして大変お世話になりました。大好きです。

 

ここに登場しなかった方々、お気を悪くしないでいただけると幸いです(笑)。そろそろ部室お別れコンパが始まりますので(12月7日19時ごろ)、この辺りで終わらせていただきます。本当は、1人ずつ、感謝の飲み会を開きたいくらいです。卒部(そして無事卒業)を果たした後にはなってしまうかもしれませんが、改めて皆様には感謝の気持ちをお伝えしようと思います。

 

本当にありがとうございました。

 

次は、我等が副将・上口にお願いします。ご拝読いただき誠にありがとうございました。

一橋大学体育会應援部

第六十八代リーダー長 兼 振橋会渉外 兼 車両責任者

村木俊一