「原点」 第六十六代リーダー長 河野 稜太朗

皆さま、こんにちは。

本年度第66代リーダー長 兼 学内外振興を務めます、河野稜太朗です。

 

最後のステージ、最後の応援、最後の練習を終え、引退まであと2日を残すだけとなりました。今回は引退ブログということで、私は自分が務めている冒頭に述べた2つの役職のそれぞれの視点からその原点に立ち返ってみようと思います。

 

(すみません。長くなりそうですが、お付き合いくださると幸いです)

 

まずは学内外振興としてです。

今年度、私たちは学内外振興という新役職を設置しました。「一橋大学全体のチアアップ」を掲げる当部は、これまでさまざまな応援活動に取り組んでまいりましたが、その大部分は「体育会の試合応援」でした。勝負があるところに出向き、応援するということは至極真っ当なことで、当部が生まれた端緒となったのも1950年代の端艇部商東戦(東京大学とのボートレース定期戦)ですから、これが悪いことであるわけではございません。しかしながら、現在一橋大学体育会に所属する学生は体感として3割程度かと思います。体育会応援のみを行っていたら、残りの7割の一橋生へのチアアップはできるのか?それは「一橋大学全体」のチアアップになるのか?私にはそういった疑問が下級生時代からございました。

 

そういった疑問をもつようになったきっかけはHSC(一橋スポーツコミュニティー)という団体にあります。HSCは一橋大学体育会ア式蹴球部のある先輩が中心になり、應援部を含む複数の運動部の人々が立ち上げた団体で、当時創設メンバーであった応援部の先輩に誘われて当時1年生だった私もミーティングに顔を出すようになったのです。そこには「体育会から一橋を盛り上げる」という理念のもとで、体育会が内輪で盛り上がるだけではなく、所属に関係なく様々な一橋生が交流し、ひとつになるという世界が描かれていました。それを感じたとき、私は興奮しました。他大学に見る、スポーツを通じて学生が肩を組み、歌い、ひとつになるという光景を一橋でも作れるのではないか、という大きな期待です。しかしその一方で、なぜ、これを主導しているのが應援部ではないのだろうという気持ちもありました。もちろん誰が(どの団体が)やってもいいことですし、他の人々にやってほしくないと感じたわけではありません。当時1年生ながら「一橋大学全体のチアアップ」という当部の最高理念と現実にやっていること(体育会応援が中心だった)とのギャップを感じ、悩んだのです。この頃から私は應援部員としてこれをやらねばならないという言葉にならない使命感を抱きはじめました。

 

一方で、学外に向く目もありました。1年生の頃から様々な国立のお店にご飯を食べに行く機会があり、その度に様々な形で応援していただく機会がありました。それがもし飲食店であればご飯を食べに行く、という形が普通ですが、應援部員として地域の皆さまを応援したいという感情が自然と湧き出てきました。

 

下級生時代からそういった想いを募らせていたところ、幸いにも幹部同期の理解・協力を得られ、新たな専任役職を設けるという運びになったのです。正直言えば、やりたいことが100%できたわけではありません。コロナウイルスの情勢もあって対面で学生を集めて何かをするということは難しかったです。しかしできることを様々に行ってきたことで、部内外で少しずついい影響が出てきていると確信しています。後輩たちには今後もこの活動を継いでいってもらえたらと期待しています。

 

 

そして、リーダー長(練習責任者)という視点からです。

 

私が1年生の頃は当時の幹部リーダーの先輩方の姿をみて、「これが一橋のリーダーか」と、先輩方のようになろうとただがむしゃらに追いかけました。私の活動の大きなモチベーションは先輩のように強くかっこよくなりたい、というものでした。

 

しかし2年生になった直後、私たちは「最下級生リーダー、かつ、最上級生リーダー」という立場になりました。なぜなら、私たち第66代のリーダー4名には入部当初から当時の幹部以外に先輩リーダーがいなかったからです。

 

 

2年生になった日

 

 

そこから一橋應援部のリーダーとしての役割を全て4名で務めることになりました。2年生になる前は、自分達の目立つ機会が多いとか、先輩リーダーに叱られることがないとかそんな表面上のことを喜んでいましたが、すぐに現実に向き合うこととなりました。他大学の応援部・応援団にはどこを見ても4年生幹部の力強く威厳あるリーダーがおられました。そんな他大学と形式として戦うわけではないにしても、肩を並べて一橋應援部のリーダーを名乗ることは大変なプレッシャーでした。しかしながら、そこで折れるわけにもいきません。先輩方が連綿と継いでこられた一橋のリーダーとしての姿や本質を守らねばならないという使命感を抱いたのです。これが私がリーダー長を志した大きなきっかけのひとつでしょう。なので、2年生の頃はステージでチーフ(リーダー、テク)を振りたいという気持ちが強かったです。観客の方々に「2年生だけでもできるんだということを見せつけてやりたい」という気持ちで溢れていました。

 

3年生になると3学年にリーダーが所属するようになり、リーダーという組織全体を俯瞰する機会が増えました。何をどう伝えたら、「幹部リーダー=追いかけるべき大きな背中」を知らない後輩たちをモチベートできるだろうかと考えました。またそこに新型コロナウイルスや年を経るごとに移ろう社会の価値観の変化もあり、それまでの「リーダーの姿」、もっといえば「応援部の姿」がそのまま通用するのかと考えることもありました。しかし、時代が変わっても「私たちの目的=本質」は「一橋大学全体のチアアップ」です。コロナで活動が思うようにいかない中でも、大切にすべきものは変わりませんでしたし、リーダー長を務めることになってからも、それを後輩に伝えようと奔走してきました。

 

チアリーダー長の浅野と私は「一つに懸ける」という全体方針を掲げ、日々伝えてきました。練習での拍手や腕振りひとつ、ダンスのモーションひとつにしても、試合応援でも、ステージでも、その瞬間にできることは全力で、全部やろうという意図を込めました。少しでもその意志が後輩たちに伝わっていれば幸いです。

 

長くなってしまいました。大変恐縮です。

 

さて、ここまで1年間様々なことがありました。嬉しいことも、辛いことも、ありました。私が應援部で活動できたのは、体育会のみんなや他大学の応援部・応援団の先輩方、仲間、国立地域の方々、一橋大学の関係者の方々がおられたからであり、応援部の後輩、先輩方、そして同期がいたからであり、ここまで自由にさせてくれた両親・家族がいたからです。一瞬一瞬で「私は周りに生かされているな」と感じます。本当にありがとうございます。

 

幹部ブログ、残すは主将・副将の2名です。毎日寒いですが、温度高めのこのブログを(胸焼けしてるかもしれませんが)、明日もどうぞお楽しみに。

 

 

全ての方々に感謝を込めて

 

一橋大学体育会應援部 第六十六代リーダー長 兼 学内外振興 河野 稜太朗