皆様こんにちは。弊部の部員日記をご高覧いただきありがとうございます。
一橋大学体育会應援部68代主将 兼 校旗責任者 兼 厚生 兼 財務を務めております榊凌ノ介です。
幹部による引退ブログも最終回です。そしてもう幹部交代式は目の前に迫っています(卒業論文の締切も迫っており、そちらは大変ピンチです)。どちらも最後までしっかりとやりきって参ります。
この引退ブログでは4年間を簡単に振り返り、雑感を述べようと思います。今回の引退ブログタイトルは色々考えましたが、今年の代方針である「一」にしました。
さて「時が経つのは早いもの」と應援部の司会はよく言いますが、本当にそれを感じる毎日です。私が入部を決めたのは2020年4月の半ばでした。元々応援活動が好きなこともあり、気になってはいました。そのままオンラインイベントに参加し、流れで決めてしまいました。今となってはなんの後悔もありません。
そして1年生部員としての生活が始まりました。とは言ってもオンライン続きで、対面での活動はほとんど夏からでした。運動神経の無かった自分は應援部の練習について行くにも必死でしたし、技術的にもまだまだでした。練習がある日の朝の絶望感は何にも変えられないくらい大きなものでした。何とか練習をやり切っても自分のやりたかった応援がない、という日々は辛い部分も多かったです。自分も先輩方のような應援部員に近づきたい一心で頭も剃り、活動を続けました。そんな形で1年生は終わっていきました。コロナ禍の中でも可能な限りの多くの経験を積ませていただき、応援とは何であるかを叩き込んでくださった65代の皆様、誠にありがとうございました。
幹部交代式を経て2年生部員になり、初のリーダー幹部の先輩の元で活動を行いました。正直言葉では表せないくらい怖い、と思った時もありました。新歓では自分と同じ想いを持つ人間を入れられず、悔し涙を飲む場面もありました。しかし色々な行事やイベントを通して自分の應援部における立ち位置や武器が分かるようになり、先輩方とも縁がより深くなった1年間でした。2年間ご指導をいただき、應援部員としての礎を築いてくださった66代の皆様、誠にありがとうございました。
そんな66代の先輩方も引退され、私は3年生となりました。今までの2年間を通して67代の先輩方のことを深く信頼しており、自分の思うことも理解して下さるだろうとよく分からない考えを持っておりました。その結果、自分が不勉強で分かっていない事を指摘してくださった際に大変失礼な言動をしておりました。幹部になった今深く反省しております。皆様についていけないと思ったことは全く一度もなく、生意気な態度を取りながらもこの先輩方なら絶対に間違いないと強く思っておりました。後輩もいる中でたくさんのことをさせていただき、そして見捨てずに育てていただいた67代の皆様、誠にありがとうございました。
幹部になってからの1年間は本当に壁の連続でした。自分が体験してきたものや体験してきた感情を後輩にも味わって貰いたいと思って日々の活動に臨みました。しかし自分の力不足や威厳の無さなどからそういったものを提供出来ず、人数比なども相まって後輩には多大な負担だけをかける形となってしまいました。そんな状態の中で初めて気づくことも多く、自分にがっかりする事も多かったです。主将として気丈に、そして幹部リーダーで場を締める者として、など様々な価値観を自分の中で照らし合わせて日々の活動に臨んでいました。そんな毎日の中でも活動に行けば、元気に話しかけてくる下級生は癒しになる部分も多くありました。下級生の皆、特に2年生には大変に大きな負担をかけてしまったことも多かったと思います。大変申し訳ない。我々は幹部として甘い部分ばかりで負担も大きかったと思います、しっかり反面教師にして自分の思う應援部を作っていってください。
應援部幹部は下級生がいるから幹部になれます、そして下級生がいるから應援部なんです。こんな不束者な我々を支えてくれてありがとう。一緒に應援部をやれて良かったです、1年間お疲れ様でした。
應援部は4年間でそれぞれ違うものが見える、とどなたからか聞いた記憶がございます。これは身をもって実感して参りました。1、2、3年生の時に幹部としてなりたい姿や振る舞い方を考え、実際に幹部になったもののそれでは全く上手くいかないことばかりありました。本当に自分の力不足と考えの甘さが露呈した瞬間でした。下級生の目からどう写っていたのかは分かりませんが、下級生との距離も自分にはとても難しい問題でした。下級生時代に作ってたきた関係性を壊しながら進んでいるような感覚にもなり、正しいリーダー像が分からなくなる瞬間も多かったです。
個別の活動で言うと新歓も色々な気持ちで臨んでいました。新歓を行っていて思うことは沢山ありました。上口の昨日の日記に書いてあるように、應援部のいわゆる体育会のような部分に惹かれる新入生は減っていたように思います。それをわかっていながらも、心のどこかでそれを信じたくない自分もいました。自分の好きな応援部を否定されるような気がして、それに目を逸らしているという時もありました。しかし臭い物には蓋をする、が出来ないのが幹部であり主将であります。何があっても部の運営をし、必ずくる明日を作っていかねばなりません。同期7人でそれをやり切れて本当に良かったです(甘い部分ばかりですが)、本当にありがとう。
こんな4年間を過ごしてきた中で、1つだけ変わらず大事にしていることがあります。それは65代体制の最後のスピーチでも述べたことですが、「誰よりも熱い応援部員になる」ということです。これを自分がどれほど達成出来たかは分かりませんが、この想いを持って活動に本気で臨んでまいりました。特に練習の中ではそれを上げという形に還元して先輩や後輩にぶつかっていこうとしていました。この想いが行き過ぎて、頑固になってしまい迷惑をかけることも本当に多かったです(特に同期)。自分なりに熱さを追求していたつもりでしたが、迷惑ばかりで申し訳なかったです。窘めてくれてありがとう。
主将として、幹部リーダーとして、應援部幹部として自分の姿が100点満点とは決して思えません。しかしそこでもがく中で、その姿は多くの人に支えていただいて成り立つものだと強く認識しました。先輩方、同期、後輩、家族、渉内、渉外、学内の友人、国立地域の皆様その全て支えられて應援部員榊凌ノ介は存在できました。ご迷惑もご心配もおかけしましたが、4年間誠にありがとうございました。
最後にはなりますが、この一橋大学体育会應援部が今後も熱い「魂」を持った部員の檄がこだまする部であることを切に願っております。
1年間ご指導いただき誠にありがとうございました。
以上で68代幹部による部員日記引退ブログを終了させていただきます。
次回からは69代の頼もしい部員達による新たな部員日記が始まります。今後とも一橋大学体育会應援部をよろしくお願い申しあげます。
一橋大学体育会應援部
第六十八代主将 兼 校旗責任者 兼 厚生 兼 財務
榊 凌ノ介