西間理菜

端艇部 全日本大学選手権大会

9月7日から11日にかけて、端艇部の第49回全日本大学選手権大会が戸田ボートコースにて行われました。應援部は8日から11日の計4日間、応援に伺いました。

 

今大会では、レース中に応援をすることは叶いませんでした。学ランやチアコスチュームを着用することも、楽器やメガホンを使用することも、ましてや声を出して観戦することさえできませんでした。
しかしながら岸蹴り前に、艇庫の体育館で選手を送り出す儀式に参加し、応援を届ける機会をいただきました。時より笑顔を見せながらも、緊張感に包まれ引き締まった表情の選手たちは、いつも以上に凛々しく見え、彼ら・彼女らに直接想いを届けることができる喜びはこの上ないものでした。
チアチーフで選手の名前を呼応し、応援歌「東都の流れ」を共に歌い、心を1つにする。制限された中ではあるものの、レース前の大事な時を共に過ごし、選手を送り出すことができたことは、かけがえのない経験となりました。

 

9月8日。
この日は女子ダブルスカル、男子ダブルスカル、女子舵手なしペア、男子舵手なしペア、男子舵手なしフォア、男子舵手付きフォア、男子舵手付きエイトそれぞれの予選、全7レースが行われました。

 

9月9日。
この日は女子ダブルスカル、男子ダブルスカル、男子舵手なしペア、男子舵手なしフォア、男子舵手付きフォア、男子舵手付きエイトそれぞれの敗者復活戦、全6レースが行われました。

 

9月10日。
この日は女子ダブルスカルのC決勝、男子舵手付きフォアのC決勝、男子舵手なしペアの準決勝、男子舵手なしフォアの準決勝の全4レースが行われました。

 

最終日である、9月11日。
この日は男子舵手なしフォアのB決勝、男子舵手付きエイトのB決勝、女子舵手なしペアのA決勝、男子舵手なしペアのA決勝の全4レースが行われました。

 

本応援記録では、観戦させていただいたレースから一部を抜粋し、執筆させていただきます。

 

3日目、男子舵手なしペアに乗艇する2年横田、4年大山の追い上げは2人の覚悟が表れた、圧巻のものでした。複数の艇が拮抗する中、最後まで粘り2着でゴールし、見事決勝戦への出場を決めました。3位の艇とはわずか0.04秒差とのことで、ボートという競技の繊細さも思い知らされました。

 

4日目の男子舵手付きエイトのB決勝では、因縁の相手、東京大学と戦うことになりました。クルーは4年寺原、4年若森、4年黒崎、4年姥山、3年石山、4年永金、4年西村、4年松田、4年多田です。
一橋大学の艇が見えた頃はやや抜き出ているように見えましたが、東京大学が終盤にかけて艇速を上げていきます。最後の最後まで両者は拮抗し、肉眼ではどちらが先着したか分からないほどの接戦でしたが、惜しくも負けてしまいました。
「ここで応援歌『東都の流れ』を歌えていたら、どれだけ後押しできたものか」とこの上なく悔しくやりきれない感情を抱きつつも、最後まで諦めずに食らいついた選手の姿を目にし、胸に迫ってくるものがありました。

 

 

続いて、女子舵手なしペアでは、4年飯島、4年甲斐が日本一をかけてレースに挑みます。序盤でやや出遅れてしまいましたが、中盤から徐々に先頭との距離をつめ1着でゴールし、史上初の日本一の快挙を成し遂げました。同期が全国優勝の夢を叶える瞬間を見届けられたことは、自分にとっても一生の思い出となりました。

 

今回の端艇部応援はイレギュラーな形態とはなりましたが、多くの應援部員の心に残るものとなったと思います。

「初心者から日本一へ」という目標を叶えるべく、コロナ禍で心身共に厳しい環境に置かれた中ひたむきに練習に励んだ軌跡。必死に歯を食いしばりラスト250メートルで力を振り絞り、艇速を上げていく端艇部員の姿は、一生忘れることのできない光景として胸に刻まれました。

我々應援部員は元気を与える立場であるはずなのに、最後まで端艇部員の勇姿に勇気をもらい続けた4日間でした。

 

 

残り3ヶ月間、自分自身の応援を磨き、あらゆる渉内を勝たせていきたいと改めて思わせられました。これからも、高みを目指し精進してまいります。

 

一橋大学体育会應援部 第六十七代チアリーダー長 西間理菜