いま想うこと 第六十七代副将 梶谷 綾郁

こんにちは。
本年度副将を務めます、梶谷綾郁です。

 

あっという間に、部員日記を書くのもこれが最後となりました。私はこれまで自分が書いてきた部員日記の原稿を全て携帯電話のメモに残しているため、改めてそれをざっと読み返してみたのですが、同期への雑なあだ名紹介、ほしい物リスト、やりたいことリスト、アルバイト紹介、、、など特に下級生の間はかなり気ままに書いてきたことがわかり少々恥ずかしく思いました😖読んでくださった方が1人でも楽しんでくださっていることを切に願います、、🥺

 

さて、引退の時期となると何かと話す機会が多く、日頃あまり考えずに話してしまう私としてはこのままではネタ切れになる?!と危機感を覚えました。そこで、三浦も前回書いてくれていましたが、私はこの部員日記を12月1日から計画的に書いてきたので準備万端!だったはずなのですが、同期が更新するたび自分の内容の薄さに焦りを覚え、何度も推敲を重ねることになっております。結局あれもこれも書こうとし過ぎた結果、詰め込みまくりでまとまりのない感じになってしまった気もしますが、今の私の心情を綴りますので、お付き合いいただけたら幸いです。

 

改めて4年間を振り返ると、ここには書ききれないたくさんの出来事があり、本当に多くの方に支えていただきました。應援部での出会いや経験は、かけがえのないものです。何度も何度も弱気になりましたが、続けてきてよかったと今は心の底から思います。
「とんでもないところに入った」と思いながらも、辞め時を見失いとりあえず目の前のことに必死に取り組んでいた1年生。運動神経は悪い方、しかも怖がりでスタンツなんて到底できるはずもないので、チアなど向いていないことは自明でした。練習で輝くことはできずくじけそうになってばかりでしたが、日常生活も重視してくれるというこの部活動の特徴に救われ、いつでも明るく元気に!ということだけは必死に貫こうと決めて活動する毎日でした。それがどこまで達成されたのかはわかりませんが、とにかく嫌でも苦しくてもついていっているうちに、1年が過ぎました。

 

2年生になり、オフが明けた頃には社会は一変しました。対面活動ができないことは、自分が思っているよりも精神的ダメージを与えました。1番辛かったのは、どんなことでも話を聞き励ましてくれる仲間、特に渉外に会うことができなかったことでした。そのうえ、先輩っ子だった私は後輩ともどう話せば良いのかわからず、2年生としての立ち位置を見つけられませんでした。何をやってもうまくいかない、話を聞いてくれる仲間に会うことができない、ネガティブの渦に巻き込まれ、自分は應援部には向いてないとさえ思いました。心は折れる寸前でした。しかし、限界を迎える寸前の私にたくさんの温かい言葉をかけ、支えてくれた友人がいました。彼女のおかげで心を入れ替え、チアはもちろん、先輩としても部員としても頑張ろう、と心を入れ替えることができました。当時は本当に人生どん底で真っ暗闇を歩くような気持ちでしたが、今思えば、その苦しみは應援部でやっていくために必要なものであったと思いますし、自分自身強くなれたとも思います。

 

心を回復させつつ迎えた3年生。2年生の時とは打って変わって、補佐役職に就かせていただき、部活動に自分の存在意義を見出すことができるようになりました。後輩との関わり方も段々とつかめるようになり、楽しい時間が格段に増えました。特に応援活動の楽しさに気づくことができた1年でした。1年生の頃から応援は好きでしたが、3年生になり同期の活躍を目の前にして応援できるようになると、それはそれは感動的でした。想像していたものよりもずっと応援は楽しく、また時に悔しく、心が揺さぶられました。そしてもう1つ、大切な仲間である渉外と再会することができたのもこの年でした。久しぶりに見る演舞会は、どの大学もパワフルで心を打つもので、胸が熱くなりました。さらに、ステージに立つ喜びも感じられました。特にうれしかったのは、後輩の演舞を見ている時。下級生練習での日々が思い出され、熱く込み上げてくるものがありました。後輩との距離感をつかめず不安だった私にとって、下級生の最上級生として活動することは、自信につながっていました。また、スタンツが上がった瞬間の景色に何度も涙しました。スタンツが成功した瞬間、特に何度も失敗したスタンツがうまく上がった時、そこから見える景色は、今まで見たどんな自然風景や世界遺産よりも、ずっときれいだと気づかされました。1年生の私といえば、スタンツの成長レベルは相当に遅く基本的なものをなんとかこなせるようになった、くらいのものでした。しかし、3年生になって余裕が生まれたのか、景色まで楽しめるようになりました。あのステージから見える、多くの人の笑顔や歓声、リーダーの皆の観客指導の姿は、決して忘れません。そして、その景色が見られるのは、ベースやスポットの方々のおかげです。持ち前の運動神経の悪さでたくさん迷惑をかけましたが、上げてくださり、たくさんアドバイスをくださり、本当にありがとうございました。こうして、たくさんの嬉しいと素晴らしいの感情に出会い、應援部を続けていてよかったと思うことのできる1年でした。

 

そして迎えた、幹部としての4年生。私の居場所はここだと信じて突き進んできたつもりです。幹部になってからの1年はあまりにめまぐるしかったですが、どれもこれも鮮明に覚えています。理想を追求しながら、全くそれには追いつけずもがいてばかりの日々でしたが、どんな時も周りの方々に支えていただいて、ここまで来られたなと実感した1年でもありました。

 

そんなわけで、大半の期間はネガティブに過ごし、愚痴をこぼしていたり弱気になったりしていた私ですが、最近になって、私は一橋大学体育会應援部のことが本当にすきですきでたまらないということに、ようやく気づかされました。引退を思うとどうにも涙が止まりません。一言で言うと、寂しいです。どういうところがすきなのかと聞かれても簡単には言い表せませんが、運動はおろか家の中を移動するのも面倒なほど、身体を動かすことが嫌いにもかかわらず続けて来られたのは、たくさんの出会いや出来事があったからです。なにより、私にとって應援部こそが「生きがい」であったと思います。これまで私は何事に対しても中途半端にしか取り組むことができず、取り柄といえば推しに詳しいことくらいのものでしたが、そんな自分が「このために生まれてきた」と思うことができるほどの経験や感情を、應援部から与えてもらいました。そしてその全ては、私と関わってくださった方々のおかげです。これほどまでにたくさんの人に支えられ、他の場所では味わえない感情をもらえる、そんな場所に4年間もいられた私は本当に幸せ者でした。

 

というわけでここからは、部員日記の特徴である、部員だけでなくたくさんの方に想いを伝えることができる、ということを踏まえ、お世話になった皆様への想いをつづらせていただきます!!ダイジェスト版ですので詳細は個別でご連絡いたします!

渉内の皆様📣
応援という機会を与えていただき、ありがとうございました。応援楽しそう!という単純な気持ちで入部した私にとって、1つ1つの試合に行くたびに感じる、応援できることのありがたみ、点を取り勝利したいというほとばしる感情、胸が熱くなる勝利した瞬間など、全ての感情が予想を遥かに上回るものでした。応援部員としてあの場にいなければ、感じられなかったであろうたくさんの感情を教えてもらいました。本当にありがとうございました!

 

振橋会の皆様
本年度も活動を見守ってくださり、ご指導くださりありがとうございました。様々な活動が3年ぶりに再開されるなかで、振橋会の方々にご相談させていただいたり、また温かい言葉をかけていただき、辛いことも乗り越えることができました。特に64,65,66代の皆様におかれましては、入部時からこれまでたくさんご指導いただきました。本当にお世話になりました。

 

渉外同期!!!🌐🇯🇵
お世話になりました。感謝してもし尽くせません。突然関西に行っても会ってくれたり泊めてくれたり、泣きながら電話をかけても話を聞いてくれたり、くだらない話で一晩中語り明かしたり、深刻な相談を真面目に聞いてくれたり、嬉しい時も悲しい時も、みんながいてくれました。みんなに出会えたことは人生の財産です(そろそろ重めの感情で引かれそうです)。演舞を見るたびに号泣するほど(いつもごめんなさい😢)、どんな時も私の原動力であり続けてくれました。そして、私も渉外のみんなの原動力でありたいという、その気持ちがまた私を頑張らせてくれました。本当にありがとう。
特に私がお世話になり1年間支えてくれた、待受画面でいつも笑顔でいてくれる3人も、本当にありがとう。今回はその写真を部員日記に掲載したいと思います(関係各所からそろそろ見飽きたと言われそうです🙉)。

 

また、渉外の先輩方にも大変お世話になりました。弱って泣きついても受け止めて話を聞いてくださった皆様には、心より感謝申し上げます。

 

さて、ずいぶんと長くなってしまいましたが、これでも書き足りませんのでまた個別でご連絡を差し上げることとなりそうです、、。

改めて、感謝申し上げます。

 

これからも、たまには活動に顔を出せたらと思っていますので、お会いした際にはぜひお話ししていただけたらうれしいです。そして少しでも恩返しができるよう、精一杯生きていきます!!應援部だいすきです!!!!!

それでは、いよいよ次で67代の部員日記も最後です。ラストは、この1年部を引っ張ってきてくれたあの人に飾ってもらいましょう。

 

一橋大学体育会應援部 第六十七代副将 兼 渉外 兼 振橋会渉外 梶谷 綾郁