やっぱり「一橋」 第六十六代副将 伊東 美優

皆さん、こんにちは。

本年度副将 兼 吹奏責任者 兼 総務を務めます、伊東美優です。

 

中学はセーラー服、高校はブレザー、大学は学ラン。主な制服は制覇した伊東です。なんなら学ランは四年間ですので一番長いです。

 

と、このような感じで、(みなさんご存知かどうかわかりませんが)私は、今まで五人の幹部がそれぞれの想いを熱く語ってエモい雰囲気の中、違うテイストで書きたくなってしまうようなひねくれ者です。周りが楽しそうに盛り上がっていると冷めてくるし、周りが感動して泣いていると笑いたくなります。みんなが好きなものには興味もありません。

 

本当は全然関係のない話をしようとも思いましたが、さすがの私も最後の部員日記なので今思っていることをまじめに書きたいと思います。文才がないので読みにくいかもしれませんが、一生懸命書くので最後までお付き合いいただけると幸いです。

 

私が一橋大学体育会應援部に入部してリーダーになったのは、ひねくれたこの性格の影響が大きいと思います。「普通ならチアリーダーになるところで、あえて女子リーダーになるのおもしろいじゃん、しかも一橋初だし」と思い、リーダーになることを決めました。それからは、目の前のことに食らいつくのに必死でした。

 

一年生の頃は、同期男子と同じことをしても「勢いがない」「全然上がってない」と言われました。頑張っているつもりでも、同期リーダーに「もっとやれ」と言われて泣いたこともありました。それに、当時の幹部リーダーと同期リーダーしかいない男社会に飛び込むことも、女子校出身の私にとっては大変なことでした。たまにリーダーだけの練習の日があると、練習もつらいし、男子校みたいなノリについていけないし、のダブルパンチで、他のリーダーが楽しそうに学校まで歩いて帰っていく中、毎回私は泣きながら一人でバスに乗って帰りました。一橋祭前には、練習が嫌で怖くて、学生注目しかしていないのに過呼吸になり、医師にパニック障害かもと言われたこともありました(決してパワハラなどではございませんし、むしろ今では笑い話です。笑ってください。)。辛くなるたびに、「なんで自分は女子大学生なのに、すっぴんで、前髪が死んでポニーテールから滴るくらい汗かいて、怖い顔して、叫んでいるのだろう」とそう思いました。

 

それに、ひねくれた性格の私は、應援部のように「私が」「私が」という風潮が嫌いでした。学生注目やチーフなども、「皆がこぞってやりたがるものに興味はない」とひねくれた性格が発動して、なかなかやりたいとは思いませんでした。ですが、いつからか、「伝えたい想いがあるから学生注目をしたい」、「自分が応援を引っ張りたいからチーフになりたい」というように思うようになりました。

私のこの面倒くさい性格を超越するくらい、応援を届けたいと思う渉内がいて、負けたくないと思う渉外がいて、成長した姿をみていただきたいと思うOBOGの方々がいらっしゃって、一緒に切磋琢磨してきた同期がいて、お互いの場所で挑戦し続ける誇らしい高校同期がいて…そのおかげで應援部員としての熱い心が私に芽生えました。

 

 

また、私がこうして今まで應援部を続けられたのは、もう1つ大きな理由があります。それは、

 

 

「一橋大学体育会應援部」

 

 

だったからです。

一橋じゃなかったら應援部に入っていたかわからないし、リーダーとして四年間やり通せていたか正直分かりません。それくらい、「一橋大学体育会應援部」が大好きです。

一橋のようにリーダーとチアリーダーが常に活動を共にしているということは、私にとっては非常に大きかったです。チアリーダーの先輩方も私を心配し励ましてくださいましたし、リーダーの振りを、動画を見ながら覚えて教えてくださったこともあります。今の私がいるのは先輩方のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

 

 

 

また、忘れてはいけないのが吹奏です。リーダー・チアリーダーの全員が楽器を兼任していることだけが、吹奏における「一橋らしさ」ではありません。全員が楽しそうに吹くその姿、吹奏楽のような綺麗な音色ではないけれど、その分魂のこもった力強い音色。これが「一橋らしさ」だと思っています。私は、一・二年生の時にたくさん応援やステージで楽器を吹く機会をいただき、その中で「一橋」の吹奏がどんどん好きになりました。しかし新型コロナウイルスの影響で練習が停止し、リーダー練習が再開されてからもなお楽器練習は再開できず、今の二年生はパートこそ決めたものの楽器練習をしたこともない、という状況で第六十六代体制が始まりました。

 

そのような状況で始まった今体制では、私が大好きな「一橋らしさ」を守りたい、伝えたいと思い、吹奏責任者方針に「一橋らしく」を掲げました。しかし、楽器練習は再開できないし、部員の自主練習は足りないし、どうしたらいいのか分からず沢山悩みました。屋外の自主練習について何度も交渉して部員が練習出来る環境を整えたり、部員が練習しないといけないと思えるような課題を課したり、吹奏責任者として出来ることは全てし、野球応援や、アメリカンフットボール応援、ステージに臨みました。

 

 

一番思い入れがあるのは、先日のステージで披露した吹奏演目「全力少年」です。

初めてこの楽曲を合わせた時は、リズムも違うし、音も外しまくりだし、「本当に各自練習したの?」と思ってしまうほど、ひどい出来でした。そのような状態から始まった全力少年ですが、練習を重ねるたびに部員の意識が変わり、これまでにないくらい練習してくれました。そのおかげで、本番のステージでは、私が目指していた、何事にも全力で取り組む私達にしか出来ない、「一橋らしい」全力少年を披露出来たと思います。実際に「一橋らしくてよかった」というお言葉もいただき、涙が出るほど嬉しかったです。部員の皆、本当によくやった、ありがとう。

 

 

 

 

言いたいことを全て言えたか分からないけど、まとまりのない文章になってきたので、そろそろ終わろうと思います(同期、後輩については明日の幹部交代式で伝えようと思います、気が向いたら)。

 

 

私が言いたかったことをまとめると、

 

やっぱり「一橋」

 

これにつきます。

 

 

そんな一橋大学体育会應援部の顔である主将の植田が、明日は良い感じにまとめてくれると思うので、そちらを期待してください。

 

 

 

それでは今まで本当にありがとうございました。 

これからも「一橋大学体育会應援部」をよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

一橋大学体育会應援部 第六十六代副将 兼 吹奏責任者 兼 総務 伊東 美優