Two Billion Light 第七十代主将 谷水小百合

こんにちは。弊部の部員日記をご高覧くださりありがとうございます。

一橋大学体育会應援部第七十代主将を務めております、谷水小百合です。

 

部内1(特に)見た目がめでたい大澤から回ってきました。

なんとなく私に部員日記が回って来る頻度が少ない気がしますが気のせいでしょうか(あっ…察し)。

 

さて、最近あった一番めでたいことですが…それはやはり新歓です!✨

嬉しいことにこの部員日記を更新している5月6日時点で7名の新入生が入部してくれています❣

これで部の人数が全体で12人、3学年体制の時と比べて2倍となるとともに、4学年全てが4年ぶりにそろうことになります!これをめでたいと形容せずにいられますでしょうか。1年生のみんな、本当に入部ありがとう✨

応援部にとっては4年ぶりの、そして自分にとっては初めての4学年体制となります。

4年生になってはじめて、といっても、下級生たちもはじめての状況下なのだから幹部が1人であろうと泣き言などいってられません。(現在3・4月の疲労がたたって少々体調を崩しておりますが…初練習までには完治させます….。すみません…。)

全力で楽しみながら、挑んでいきます。

 

 

久しぶりに部員日記が回ってきたので、部員日記は自己表現の場(←?)と思っている私が人生が楽しくなるかもしれない考え方のお話をしたいと思います。

 

 

「歴史とは現在と過去との対話である」

 

歴史学を学ぶものであれば必ずといっていいほど読むであろう、E・H・カーの著書『歴史とは何か』から引用した一説です。よく歴史系の論文では用いらます。。

 

この言葉に関して少し背景を説明します。

19世紀に確立された近代歴史学においては史料批判や厳密な客観性に基づいて歴史が叙述されてきました。

それってちょっとちがうんじゃない?と一石を投じたのがこのイギリスの歴史家E・H・カーです。

厳密な客観性といってもそれは結局誰かの主観、特に歴史を記録したものの主観にすぎないのではないかと疑問を呈したのです。

じゃあ歴史って結局主観的なものじゃん、歴史って誰かの主観でしかないの?と思うかもしれません。

それに対しての彼の主張は「歴史事象の背景・思想体系のみならず、それを記録し叙述したものの価値体系や思想体系まで含めて解釈することが肝要である。」と述べられています。

 

これは、先述した近代歴史学の潮流とは異なり、当時としては極めて現代的な著作であると評価されています。

 

前置きが長くなってしまいましたが、これは、歴史のみならず人間関係においても当てはまることだと思っています。

 

人が行動することには大抵の場合、意味があります。なんらかの背景や考えがあって、その行動をとっています。その人を完璧に理解するには「この人はどういった信念を基に行動しているのか」「この人はどういった考え方をしているのか」が重要です。

 

人によって育った環境・受けてきた教育・経験も異なるのですから、人の数だけ考え方や物事の受け取り方があるに決まっています。自分の価値観や経験則のみでその人を判断してしまうのははっきりいって“傲慢”なのではないでしょうか。(すでに私のこのような考え方が傲慢かもしれませんが。)

 

例えば、最近インバウンドで多くの外国人が日本に来日するようになりました。

そこで、例えば中国の方が大声でしゃべっているとしたら、それに対して「うるさいなぁ。」と感じる日本の方は少なくないと思います。

これもただ単にその人のマナーが悪いというよりは、その人が育った背景に起因しています。中国では、インターネットなどで言われている言説では中国語には4つの抑揚があるからはっきり話さないと聞き取れない、だったり、人口が多いためはっきり大声で自己主張をしないと自分のことが伝わらない、などが要因とされています。

これらの真偽は明らかではありませんが、背景に日本で生まれ育った方と異なるものがあるのは事実です。逆に、日本で生まれ育った人が海外に行くと「なんでこの人ははっきり自己主張しないんだろう?」などとなるわけです。(日本はよく間を読む文化、などと言われます。)

 

以上の例は、異なる文化圏で生まれ育った人間同士の対比であるためわかりやすいですが、これは我々の隣人もそうなのではないでしょうか?まったく生まれ育った環境が同じな人なんていない、だからこそ、似ている考えの人はいれども、自分と全く同じ考えをしている人なんて存在しないのではないかと思うわけです。そうじゃなきゃ、この世に喧嘩なんて起こりません。そう考えたら、その人を100%完璧に理解するなんて不可能なのかもしれませんね。

 

そのような状況下で、“社会”というものの中で生きていくには互いの価値観を認め合って生きていくしかないと思うのです。互いが互いにことを理解できなくとも、「理解しようと努力すること」が大事なんじゃないかなーと思うのです。

 

とまぁ長々しく話をしてしまいました。(ここで9.8割の人はブラウザバックしていると思います。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。)

 

まあそんな小難しい話をしたいわけじゃなくて、1人1人違うんだから、「人間とはかくあるべき」と頭でっかちになるんじゃなくて、この人は「こんな人なんだ!」「この人の思考回路自分と全然違っておもしれー」ぐらいで生きよう、って話です。

 

その方が人生楽しく生きれるんじゃないかな、って思います。(齢21歳の感想。)

 

部員日記が長くなってしまいました。そろそろ次の人に回したいと思います。

次は2年以上の部員の中で一番誕生日が近い三澤に回したいと思います。約20年間生きてきて楽しかった出来事など教えてください。

 

それでは、次よろしく。