歩み 第六十五代副将 石川 萌々花

こんにちは!

 

本年度、副将 吹奏責任者を務めております、石川萌々花と申します。

 

引退前最後の部員日記ということで何を書くべきか迷いましたが、1番私らしいのは楽器について述べることかな、と思いました。一橋の応援部員としては少し独特なモチベーションで4年間を歩んだであろう私の、拙くて長い思い出話になりますが、お付き合い頂けると幸いです。

 

 

さて、私は吹奏楽というものに入部するまで触れたことがなく、応援部に入部したときも楽器をやりたいとは1ミリも思っていませんでした。幼少期にエレクトーンを習っていましたが、練習が大嫌いですぐ辞めていましたし、トロンボーンを選んだのも音がたまたま出たからで、春シーズンはそのままなんとなく過ぎていきました。

 

変化があったのは夏オフで、ドからド(1オクターブ)を吹けるかも怪しい私たちに、「20曲を1ヶ月で吹けるようにする」という課題が与えられ、大層真面目な1年生だったので()、毎日のように部室で練習をすることになりました。

 

元々成果が目に見えて現れることがモチベーションになりやすかったためでしょうか。幼児がシール帳をウキウキと埋めるかのごとく、新しい曲が吹けるようになる度にチェック表が埋まるのが楽しくて、練習に明け暮れました。

 

曲が吹けるようになってからの練習はとても楽しかったです。秋シーズンでは、1年生で唯一楽器デビューすることができ、私でも先輩方に認めて頂けることがあるのだと大きな自信に繋がりました。

 

当時、ダンスが下手くそで練習が辛い、日常の会話で話題を作れなくて辛い、声がガサガサで辛い、先輩が怖くて辛いという不協和音四重奏だったこともあり、1.4の先輩に挟まれて笑顔で楽器を吹いたあの10分くらいの時間は、今でも忘れられません。

 

1年生の時は活動について行くことが精一杯で、その大きな流れの中で楽器が好きになって、なんとなく吹奏責任者というもの意識し出したのが1年生の終わりのことでした。

 

ここまでは長い長い導入編『石川が楽器を好きになるまで』です。

 

 

 

2年生になると、楽器を通して色んなことを考えるようになりました。

 

まずはリーダー練習について。それまで私は同期に勝ちたいという想いがほとんどなくて、自分自身の上達や、同期みんなで上手くなることを大事にしていました。しかし楽器練習では、ドラムに同期の中で最初に任命されなかったことが悔しかったり、演目に選ばれたりすることが嬉しかったりと、選ばれることに違和感を感じない自分がいました。

 

そのときに、自分は苦手意識のあったリーダー練習で「勝たなくても良い」のではなく「勝てない勝負をしたくない」だけなのではないかと考えるようになりました。しかしプライドの高かった私はむしろ、そんなはずはない!上手くなりたいと思って頑張っていることを証明してやる!と謎の方向に突き進んでいきました。その良し悪しや真偽のほどは別として、少しずつ爆発力を出せるようになったり、チアチーフを狙う気持ちが現れたのは確実な成長だったと思います。

 

次に応援について。当時の幹部の方が積極的に応援に登用して下さったため、実戦での経験が増えました。1年生のときは私が居なくても応援が成り立つのが当たり前で、その中で存在意義を見出そうと悩んでいました。しかしおこがましいようですが、「私が」楽器を演奏しないとオーダーが成り立たないことが増えるにつれて、自分はそれにふさわしい応援ができているのか、渉内に対して今ここで何ができるのかといったことを考えるようになりました。渉内のことを知る機会が増えたこともありましたが、応援について考え、応援がますます好きになったのは楽器のオーダーを通してだったように記憶しています。

 

そして渉外について。三商では「楽器が好きな子」として認知してもらえるようになり、好きなことを広げていくことでアイデンティティが増えることを実感しました。また、吹奏とチアを兼任するスタイルは渉外に自己紹介する上で記憶に残ってもらいやすく、特に楽器推しの自分としては、吹奏部の方との繋がりが広がったことが、とても嬉しかったです。

 

実は今年編曲したマーチのいくつかは渉外が演奏していたものが元になっています。私が渉外と互いに高め合い、それを部に還元していくことができたのは、楽器というツールがあったからこそでした。

 

 

 

3年生になると、楽器を通してだけでは見えてこない様々な課題が浮き彫りになって、それに対応できずに悩むことばかりでした。楽器の面を見れば、頼りにされていたという自負はありますが、全体として見れば不甲斐ないことが多かったです。

 

楽器を中心に振り返ると、3年生は吹奏責任者補佐を務めていたこともあり、楽器練習というもの、楽曲というもの、演奏技術というもの達に対して、自分が何をできるのかについて考えるようになりました。

 

私は楽器が好きだという想いは人一倍ありましたが、吹奏楽経験もなく、音楽的素養があるわけでもなく、技術が抜きん出ていたわけでもありません。この頃には絶対に自分が吹奏責任者になるのだと決めていたので、演奏者としてだけでなく、指導者として部に対して何ができるのかよく考えていました。

 

一時期トランペットに手を出したのはそのような考えがあったからです。指導する上でメロディへの理解は欠かせない!と考え、その目的は達成できましたが、演奏者としてはあまり向いていませんでした。主楽器がトランペットであったなら、私は吹奏責任者になろうと思わなかったことでしょう。

 

 

 

長い長い下積み期間を終えて、私は幹部になりました。学んできたこと、考えてきたことを吹奏責任者という役職を通じて後輩に還元することはほとんどできませんでした。その点に関しては、心残りがないといえば嘘になります。

 

1つ後輩に伝えたいこととしては、活動に対するモチベーションの源は人それぞれでありますが、全員が一橋大学体育会應援部の部員としての誇りをもって活動に臨んで欲しいということです。

 

私は楽器というものが軸の1つにありましたが、吹奏部の部員ではありません。應援部員としての誇りをもって、すべての活動に想いを馳せて、外部内部問わず多くの関わる皆さまに想いを馳せて活動して参りました。

 

 

應援部には、そして應援部員としてのみんなには無限の可能性があります。

「小さな好き」というきっかけの扉を開けたときは一本道に見えるかもしれませんが、その道を歩いている内にたくさんの新しい扉が見えて来るはずです。そのきっかけを逃さず、すべての扉を開けて進んで欲しい。その先に新しい出会いが、好きが待っているはずです。そしてひと回りもふた回りも成長行く姿が楽しみです。

 

 

應援部の益々の発展を祈って、結びの言葉とさせて頂きます。