応援部よ永遠に 第六十四代副将 栗田 理沙

  • こんにちは!

安永からバトンを受けました、栗田理沙です‼️

可愛い後輩から大好きと言って紹介してもらえ、嬉しいかぎりです\(//∇//)\

 

先日の日曜日に、第64代の最終練習を迎えました!リーダー練習でも楽器練習でも第64代体制のみんなでやりたいことができ、思い出深い、楽しい練習となりました。

そして、昨日は部室お別れ会、今日はついに幹部交代式です。

1年生の時はあんなに行きたくなかった恐怖の部室ですが、もう一生入ることはないと思うと、寂しいような悲しいような気持ちになります。

 

 

64代体制最終日、最後の部員日記ということで、今回は応援部人生を通して積み上げられた思いや考えを、第64代体制の活動方針「闘魂」に絡めてお話しできればと思います。

恐らく私は、歴代の中でどの応援部員よりも多く部員日記を書いたと思いますが(30回くらいは書いていると思います!)、マジメなお話をすることは少なかったかなと思います。駄文ばかりで、ペラペラの内容のものばかりです(ああ、黒歴史恥ずかしい

お時間の許します限り、お付き合いください。

 

さて、一橋祭での学生注目と少し被りますが、私は「応援とは何なのだろう?」と考え悩み続けてきました。

そもそも私が応援部に入った理由は、「体育会の部活に入って厳しい世界を経験したい、新しいことにチャレンジしたい」というものでした。「応援」なんて、少しも考えていませんでした。

入部して練習が始まると、先輩方から「応援部員は相手を応援する存在なのだから、どんな時でも一番元気に周囲を盛り上げる存在でなければならない。」との趣旨の言葉をたくさん頂きました。そこで、初めて「私は誰かを応援するのだ」と認識しましたが、正直活動についていくだけで精一杯で、応援について深く考えたことはありませんでした。各体育会の試合に駆けつけただ精一杯応援することが、文字通りに応援なのだと考えていました。

応援について深く考えるようになったのは、2年になったばかりの春頃でした。その頃、私は部活動でうまくいっておらず、様々な悩みを抱えていました。先輩方にも注意を頂いてばかりで、体育会の応援に行っても自分の応援が体育会の方々の力になれているのか全く自信がありませんでした。そのような中で、ただ精一杯応援するだけではだめで、相手に届けることが大切なのだと気づきました。

声援や楽器など物理的な面では無く、心から想いを届けられなければ、相手には伝わりません。相手に届けるということは決して簡単ではないことでした。

3年、4年と、どうすれば相手に届けられるのか試行錯誤でしたが、ある時、なぜ自分はこんなに悩みながらも部活を続けているのだろうと考えた時がありました。自分自身に向き合い振り返った結果、私が頑張れるのは「部活の先輩方や後輩、体育会の方々や他大学の応援団・応援部の方が真剣に活動に取り組んでいる姿を見て、その姿に勇気をもらっているから」と気付きました。

先輩が愛をもって私に真摯に向き合って指導してくださるから、後輩達が全力でがむしゃらに活動に取り組んでいるから、体育会が全力で勝利を掴もうと奮闘しているから、他大学の応援団・応援部と交流するたびに応援に対する情熱をひしひしと感じるから、私も頑張れる。周囲の方々の真剣な姿が奮い立たせてくれるから、どんな状況下でも諦めずにやり切ろうと思える。

だからこそ、私自身も部活動はもちろんのこと、周囲に真摯に向き合い、全力で何事にも取り組もうと心に決めました。周囲からたくさん勇気をもらっているように、私も周囲を勇気づけ元気付けられる存在になると決意しました。

 

そうして、周囲に真摯に向き合い、全身全霊で取り組むことこそが、闘魂なのだと思います。周囲に向き合うことで、魂を一つにし共に闘う。魂を込めて、声を届ける。魂を込めて、踊る。魂を込めて、音を奏でる。ーそうすれば、きっと相手に届く。

4年間を通して、関わる全ての方に応援され勇気づけられて、私は「応援とは何なのだろう?」「どうしたら相手に届けられるのだろう?」ということの自分なりの答えを掴むことができたのだと思います。

 

 

お世話になった、応援部の先輩方、後輩達、体育会の皆様、他大学の応援団・応援部の皆様、私に関わってくださった全ての方々、本当に今までありがとうございます。

皆様の支えがあったからこそ、私は4年間をこの一橋大学体育会應援部で最後までやり切ることができました。

皆様が奮い立たせてくれたからこそ、「応援」がいかに大きな力を持っているかを身をもって学ぶことができました。

感謝の言葉をもって、最後の挨拶とさせて頂きます。

今後も、一橋大学体育会應援部を宜しくお願い申し上げます。